悠久バプテスマ

141文字以上の文を140文字以下の文にしたくない時に使うブログ

俺が「あつまれ どうぶつの森」を手放す主な理由

  • 博物館の担当者のフータとかいうガキの態度がむかつく
    • やめた原因の約7割
    • フータに生き物や化石を渡すと、博物館に展示されるようになる
    • フータは虫系が嫌いらしい
      • 渡すと、やれ気持ち悪いだのなんだのとくそみそに言う
      • そもそも見せた途端にガーンとショックを受けた音が鳴って顔が曇る
    • 渡すための生き物や化石を集めるのはそれほど簡単ではない
      • 既に渡したものを持っていっても意味がないので、持ち物を整理して向かう
      • アイテムを持てる数が少ない
        • 加工用の道具や材料やらを常備していると、それらを一度預けてたくさん持ち込むか、何度かに分けて持ち込むか、などと手間がかかる
        • 博物館がオープンするのは早くて3日目なので、それまでに手に入れた生き物や化石は、一度どこかに保管しておかなくてはならない
      • そもそも生き物や化石は売れる
        • 高く売れるタランチュラ、モルフォチョウをわざわざ寄贈してやってるのに、ガーンとか抜かす
    • なぜこいつを係員にしたんだ
    • 甲子園の選手宣誓ぐらいの声量で罵るほどむかついた
  • 明確な目標がない
    • 借金の返済方法が、物を拾って売るぐらい
    • ミッションも、ほぼ広義の物拾いという印象
    • 人の島にいっても、やることがない
      • 一緒に洞窟を探検したりとかできるわけではない
      • 感情アクションを出したり、記念写真を撮ったりするぐらい
      • 人が入ってくるたびに長いロードおよび演出によりプレイを拘束される
  • オブジェクトはほぼ置いて飾るだけ
    • Aボタンで動作するようなアクションを持っているわけではない
    • 人々の主な楽しみ方の一つは、シャツや紙に自分でドット絵を描いて飾る
      • 俺は、現実に存在する意匠をゲーム内へ持ち込むことに、さほど感動を覚えなかった
  • 鉄鉱石を集めるのがだるい
    • 石を素早く叩くと、1日につき最大8個手に入る
      • ただし、背後に穴を掘るか、柵を置いてノックバックを軽減しないと、7個しか手に入らないことが多い
      • 柵を撤去するボタンと、鉄鉱石を拾うボタンが同一なので、間違って柵を撤去することがある
      • 地面にグリッドが出ていないので、狙ったところに置けないことが多い
      • 一時的に加藤純一ぐらいの声量が出た
  • やってると異様に眠くなる

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筒井康隆の日記おもしろい

 筒井康隆先生のTwitterをフォローしていたら、笑犬楼大通り 偽文士日碌という、御大が2008年からちょこちょこ書いてる日記を見かけた。それを遡って読んでたら面白くて、俺もなんか書きたくなったのでブログを書いてみる。筒井康隆、すごいよな。なんていうか、大げさかもしれないけど、同じ瞬間に生きてることがすごいなって思う数少ない人だ。普段クソバカばっか見てるから、なおさらや。3食ウィダーインゼリーばっか食ってる生活で、いきなりラーメンすすったような鮮烈さを感じる。もう85歳らしいで。めちゃくちゃジジイやのに、Twitterエゴサして、自分の悪口言うてるやつに死ね死ね言うてたで。車運転できないから上級国民になれなくてよかったとか、おもろすぎやろ。めちゃめちゃ精力的に活動してはる。俺もこんなジジイになりたいけど到底無理やな。

 書きたいとは思ったけど、特にイシューがあったわけではないんよな。今日びの世間を騒がせてるのは、コロナと、100日ワニ? 前者はともかく、後者はけっこうどうでもいいよな。コロナはホンマ損やな。これ、いつまで経っても終わらんのちゃうか? Plague Inc.じゃないけど、ウイルスのゴールが人類死滅ってこともありえるから、どこまでいくか分からんね。途中でせき止められても、これによる経済的損失は計り知れん。みんなの貯金がなくなるぐらいで済んだらええけど、生活に困窮する人もでてくるし、政府が補填したら、国が払う金はすなわち国民がみんなで分担するってことやから、税金がまた上がるで。俺のようなルーズな者でさえ、仕事がなくなった時のためにちょっとは支出を締めなあかんなって気持ちになってきてる。トイレットペーパーがなくなることをあれだけ警戒するんやから、ちょっと誰かが煽ったら、支出すること自体への警戒心もすぐ刺激されて、あらゆるものを買い控えるんちゃいます? いやー、こういう時に、力ある者に媚びていなかったツケが回ってくるかもしれん。あ~もう生産力より病気対策のコストの方が上回ってるやんけ、金づるにさえなれなくなったのか、このゴミどもは。悪口ばっかり言って可愛げもないし、さよなら~。ってなったらどうしよう。

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 まあ別に可愛げがあっても、あんまり関係ないかもしれんけど。きついなぁ。

 暗い話をしてもしょうがない。最近は、YouTubeでゲーム実況をよくやってるんですよ。ヒカキンの100分の1、いや、1000分の1、いや、カケラになりたい。楽しくゲームをやってるさまをもっと見てほしい。うーん、今回はこんなとこで。

「~~で困ってる人がたくさんいることを知ってほしい」って言うやつ腹立つわ~

 Twitter社には新聞社の記事ツイートにリプライした回数をホーム画面に表示する機能を実装してほしい。ほんまTwitterのクソを見てると腹立つわ~。俺は基本的にアイマス関係のいい絵や漫画を書く人を見るためにTwitterを見ているのだが、ニュースなどを知る契機にするためという理由も2割ぐらい占めている。その役割を担わせる人選は非常に重要で、前に書いた記事のようなフィルタが必要である。 

 

 しかし、そうやって頑張ってウンコをフィルタしても、カシコの人の中にはカシコアピールのためにカスを叩いて、いかにカスがカスであるかを説明する人がどうしても存在する。それはそれでその人の利益のためにしょうがないのだが、そうすると、カスの存在が目に入る。しかし俺はあんまりもうカスを目にしたくないのである。あんなカスと生物として同じ種であるということを確認すると気分が悪くなる。もはやニュースツイートのリプライ数を見るだけで気分が悪い。ああ、またカスがいっぱい訳わからんこと言うてるんやろなぁと想像するだけでげんなりする。

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 この記事は殺人犯にしかイキれないのでリプライが少ないが、

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 この記事などはWHOという大きな組織にマウントとってボロクソ言えるのでイキりまくりである。

 この手のカスさを少しでも目にしてしまうと、例の「このカスと生物として同じ種である」というスティグマを再確認させられた、気分マイナスからのスタートになり、それを打ち消すなりしてゼロ以上に戻す必要がある。これがまた労力である。こういうブログ記事を書いたりしないといけない羽目になる。でもこれをやらないと気分が悪いのである。この手のカスを目にした時のストレス係数が、俺は恐らくみなさんより高いので、しょうがないのである。腹立ってしまう。

 いろいろあるパターンの中でこの頃気にするのは「~~で困ってる人がたくさんいることを知ってほしい」という口調で、群衆に何かを訴えかける系のやつ。真に受けるとキューが多すぎる。そのレベルのことを知らないといけないのであれば、他に1万個、10万個、100万個ぐらい知らないといけないことがあって、どこの受験生だってぐらい覚えなくてはならない。受験ならまだ、覚えれば覚えるほど受験で合格する可能性が上がるという得があるが、何らかのちょっと損してる人のことを覚えまくったところで何もないのである。俺だって、目の前で物を落とした人に「落としましたよ」って拾って渡す程度の親切心ぐらいは持ち合わせているが、それを何十回、何百回しなければならないとなれば、もう仕事である。発信してる本人からしたら、ちょっとタバコの火借りるぐらいの軽微な要求でしょ、という感覚だろうし、実際にそうなのだが、タイムラインでまとめて見ると、「またバクシーシ言うとるやつがおる」とうんざりするのである。ただ、これも言い方の問題で、「~~を知ってほしい」という若干強めの口調で訴求しようとしているのがガサツなのが引っかかっているのだと思う。「知るべき」ほど強い言い方ではないが、「知ってほしい」ということは、知ってほしいと思っているということであり、俺がそれを知らないでいるなら、その発信者にとってそれは残念であり、つまり俺が知らないことは残念さを生むのである。俺は知らないでいることで残念さを生んでしまった、という後味の悪さを残す。若干の脅しである。脅しということは攻撃性を帯びているので、気分が悪い。飛躍しすぎと感じるかもしれないが、自分の意識が1個というスケールに対して十分に大きな数のなにかを相手にする時、こういう微小な違いは重要である。1000万件の何かを処理する時、処理時間が1ミリ秒遅れたら、全体としては1万秒遅くなるのである。俺の意識が1個しかないので、しょうがない。タバコの火を貸す機会が1回で済まないんだから。「~~という人がいるらしいよ」で済ませれば、こっちとしても「へえ」で、攻撃性は感じない。いや、もしそれが当たり前になってきたらまたぞろ感じるのかもしれんが、今の相場でいえば感じない。人に何かさせようとするなら、自分の要求が相場としてどれぐらいのものになっているのかを想像し、それぐらいの創意工夫をしてほしいものである。それさえしないで、単に温情に訴えかけるガサツな要求を垂れ流しているさまは、実に稚拙で、腹立たしい。その創意工夫をしようとしていないところに感じる拙さが、俺の最近のカスさトレンドの一種である。

信頼する情報源の選び方

 事々物々があふれる世の中の出来事についての情報を、自力で収集し把握するのは効率が悪いし無理である。何かの事件の裁判の結果がどうでその判決はどういう意味なのかとか、誰かがノーベル賞を受賞したけどその業績はどういうものなのかとか、GAFAクラスのあの企業が新しいサービスを始めたけどこれはどういう潮流なのかとか。そんなことを詳しく把握できるような知識も暇もない。ないが、そういうものは概要だけでも知っておかなくては、円満な社会生活を送るのが一層難しくなる。なので、他人の手を借りなくてはならない。ある分野についての話題は、その分野に長じた人の見解を参考……いや、鵜呑みにするしかない。自分が知らない分野のことについて、誰かが何か言っていても、その真偽や妥当性を判定する材料がなさすぎるからだ。例えば法律の話で、どっかの弁護士を自称する者が「万引きって実は死刑になったんですよ」と言ってるぐらい分かりやすい嘘なら、普通に考えてありえんと即断するとか、法律にそんな条文がないことを確かめたりするとかは容易だが、「強姦罪の法定刑の下限が上がったのは、強盗罪とのアンバランスが以前から言われていたせいなんだよ」とかになってくるともう分からない。法曹の見解を鵜呑みにするしか、何も材料がない。

 しかしそこで問題になってくるのが、その見解の信頼性だ。こればっかりは、自分の頭で考えても限界がある。事実に基づかず、人の意見を鵜呑みにするのだから、他人が言った見解が真っ赤な嘘で、真っ赤な嘘を無抵抗に信じることになってしまう可能性はどうしたってある。ただでさえネットがソースになることが多いから、訳の分からん大嘘こきのアカウントが、弁護士でもなんでもないのに、大嘘の条文を引用して、全然ない判例を引用して、適当な見解をでっち上げることだってある。そんな捨てアカみたいなやつでなくて、歴とした何らかの社会的立場がおありになる人物が運営するアカであったとしても、万能感なのかなんなのか、専門外の分野でも同じような自信にあふれるトーンで真っ赤な嘘の見解を発表し、それが流布しているということもある。事実に裏打ちされてないのに流布しているということは、それがセンセーショナルで面白い見解だからとりあえず流行っている可能性は高く、事実を見失わせる有害な情報である可能性が高い。あるいはマジの本職が発言しているが、そいつがその本職の分野でボンクラであるというケースもままある。M-1上沼恵美子を思い出す。もっとも、「専門分野」といっても、我々が一つの分野だと思っている領域での活動で要求される能力というのは実に多様だ。例えば俺が従事しているプログラマー、エンジニアリングという分野。ここで「ひとかど」になる要因は実に多様だ。アルゴリズムを考えるのがうまい、アルゴリズムを考えるのが速い、集中力があるから作業効率がいい、集中力があるからミスをしにくい、人をまとめるのがうまい、人に気に入られるのがうまい、などなど。どれか一つか二つ満たせたら、もういっぱしのプログラマーといえるし、そう見なされるだろう。だから「ひとかど」になった人みんなが、これができたらひとかどになるという要因すべてを満たしてひとかどになっているわけではない。アルゴリズムをうまく組む人が、必ず人をまとめるのがうまいということにはならない。当たり前だが、ここをよく見誤る。ハロー効果というやつだ。漫才がうまい、うまかった人が、漫才を評するのもうまいとは限らない。ある分野について知りたければ、その分野のひとかどとされている人物の言うことを鵜呑みにしていればいいというわけではない。

 じゃあどうすればいいのよ。人を信じるといつか大嘘を吹き込まれる。でも自分が知らん分野のことは自分は判断できないし、収集している暇もない。詰んでるじゃねーか。まあ、実際詰んでると思う。信じるしかない。が、なるべく確度を上げたい。という欲求になるべく沿うように、指標にしていることが俺はあるから、それをメモ代わりに書こうと思ったら既にそこそこの文書を書いてしまった。ふわっと思ったことを書くにも、文章にしようと思ったら、その前提の話とかを書いておかないと意味が分からなくなるから、大変だな。ようやく本題に入れる。つまるところ、有名だけど適当こいてるカス論客をカス論客だと思い、いい意見を言う人をいい意見を言う人と思い、いい意見をよく言うわけではない人をいい意見を言う人だともカス論客だとも思わないための方法。最後のは蛇足ではと思うかもしれないが重要で、ここが一番の誤りの流入元だと思う。

 基本的には、カス論客の逆張りをしていればいい。カス論客はカスなことばかり言うので、逆張りすれば、そいつの誤答率がそのまま正解率になる。つまり大衆の逆張りはけっこう悪くない。が、あんまり有用なレベルの議論そのものをしていないので、「正解率×応用した事柄の効用」はいずれにせよ低い。奴らは自転車置き場の屋根の色は何色がいいかとかばっかり言ってるので、そもそも正解しようが間違えようがどうでもいいということだ。やっぱりもっと専門的なことについて把握していかないといけない。希少さは、専門性の大きな価値の一つだからね。他の価値に兌換しやすいのはそっちだ。屋根の色ではない。で、専門分野にもカス論客は必ず巣食っているが、これを見分ける方法が肝要だ。ここは人それぞれ判断基準があると思うが、俺は「自分にも分かるような内容をどう論じるかを見る」という方法がいいと思う。誰にでも分かる一般的なことや、自分(俺)の専門分野の事柄について、その論客が言及した時に、その論考が妥当であるかは、自分(俺)でも判断できる。その妥当性で、他の分からん分野の妥当性を類推する。まあ、単純な話だが、これぐらいしかないと思う。特に、その人が詳しくない分野、もしくは知り得ない情報が含まれる事柄があって、その知らないことが、その事柄の重要な部分を占める場合に、結論を出せないと結論できるかどうか。これは重要だと思う。これをちゃんとやる人は意外と少ない。特に目立つのが、想像による事実認定。「どうせ~~でしょ」とか、「~~してたに決まってる」とか。あるいは、まだ判決が出ていない事件の被告に対する態度とか、当事者しか知り得ない事実を争っている事件で、その事実を報道などからは知りようがないのに、勝手に決めつけるかどうかとか。いじめの報道などで、勝手にいじめっ子といじめられっ子の関係を想像しているなんていうのは顕著だ。これは多くの人が、マンガやドラマや、あるいは自分の体験した絵を頭に思い浮かべて決めつける。「~~だとしたら」という前置きで決めつけた状態で論考するのは構わない。もしもの話だし、そこを決めないとそれ以上の話ができない事柄も多いからね。ここを押さえているかどうかは、めっちゃ分かりやすいのでいいチェック項目になると思う。

 あといい意見をよく言うわけではない人をいい意見を言う人だともカス論客だとも思わないというのも重要で、なんかどうでもいいことばっか言うとか、価値が低いことを言うとか、一度言ったことの変奏をずっと言ってるやつとかは、どうでもいいので切る方がいい。フェミとかビーガンとかLGBTとかも、マイノリティがうまいことやってきて、うまくいけば利権化しようとしてんな、ぐらいで留めておくのがいいでしょう。フェミとかビーガンとかLGBTとかが間違ってるか、妥当かどうかとか考えるだけマジで無駄。最近頑張ってる新入社員のAくんに、ボーナスあげるかどうかを、あげる権限のない同僚社員が延々と考えてるようなもんだよ。得にならん。趣味でやるなら別ですよ。あの誤謬率クソ高集団(中には妥当な見解をもって戦ってる人もいると思うが、誤謬率クソ高人間の率が高すぎる)をボコボコにするのが楽しいなら、それそのものが幸福を生んでるからやればいいと思うが、そうでないなら価値ない。そういうのをボコボコにして遊んでる論理的エリートもいて、その人はそれで武勲を上げたり快楽を得たりしてるかもしれないが、観戦していて得るものは非常に少ない。アホがアホって言われてるのを見て、延々と「そうだなあ」と思うことに価値があるか? オナニーとかしてた方が人生に資すると思う。

 まあ振り返ってみるとけっこう当たり前のことばかり言ってるような気がするんですが、そうでもないかな? あるかな? 信用する情報源の選び方って難しいよね。

このところしんどい

 労働は身体に悪いから早く規制してほしい。こんなものは酒やタバコを遥かにしのぐ健康被害を受ける。寿命が縮まったりするし、精神にも悪い。死者も無数に出ている。こんな悪いことばかりのものをいつまで野放しにしているのか。早く気づいてほしい。そのあたりの観念にアクセスできず疑問を抱けないようになってしまうようなチップが、人々の脳に埋め込まれているのだろうか? 早くチップを取り除いてほしい。

 ストレス耐性が低い。ちょっとしんどいと、すぐ疲れる。そのせいで風呂で寝てしまって、防水できる袋状のカバーをつけていたスマホが浴槽に浸かり、いかに防水といえど浸かりすぎて浸水し、壊れてしまった。せっかくチクチクとディスガイアRPGをやっていたのに、ログインできない。もうiPhoneSEはフリーマーケットとか以外ではろくに売っていない。でかいやつに新しく買い替えなくてはならないのか。それも10万前後する。あんな高いものを雑に持ち歩いているなんてすごいよな。俺はけっこうミスってこなかった方だと思うが、ここ2年で2回ほど修理が必要な壊れ方を喫した。注意力が落ちているのだろうか。凡ミスで数万飛ぶとか、とてつもない弱点を抱えた生活だ。これも仕事のせいだといえる。でかくて重いスマホは、指が痛くなるので困る。独り身なので出費はケチらないとすぐ金がなくなる。収入への依存度を下げるために支出は絞らなくてはいけない。こんな労働環境の相場で収入への依存度を上げたら、仕事をやめられなくなってアンハッピーになるからね。肩が凝らないとか、夜自然に眠くなるとか、食欲があまりないとか、生得的な財産に差がありすぎる。顔や頭が悪いとかもそうだ。もっと生得的な能力が高くないと、生存していることが損に感じられる。もっと生存のオッズが合う世の中になってほしい。

「くっつけること」が人間の本質説

 たまにはちょっとした思索なんかをしよう。30もなかばになってきて、10代、20代の頃に比べると、あまりそういうのをしなくなった。歳をとってくると、本質的なことをあまり考えないものなのだろうか。イメージ的にはジジイこそが豊富な経験をもとに事物の本質を悟ってそうだが、しかし宇宙とか人間とかについて考えるのは中学生ぐらいで、中年はもっと即物的に生きているイメージもある。本質的な思索にさく時間は、年齢につれて単調増加でも単調減少でもなく、お椀型になっているのかもしれない。つまり俺は思惟の谷間にいる。まあ人によるんですけどね。あくまで自分の傾向から推測する全体の傾向の話です。

 という思索じゃなくて、本題がある。人間の目的の本質がいくつかあるとしたら、そのひとつは「くっつけること」なんじゃないかと、ふと思った。人はみな、とにかく何かをくっつけたい。ただくっつけるだけじゃなくて、より強い結びつきをもってくっつけたい。くっつかないだろうと思っていたものが、意外な結びつきでくっつくとうれしい。人間のリソースの多くが、この営みに取られているのではないか。

 生物には、存続するために獲得した指向というものがあると思う。食べるのが好きなのは、利用できるエネルギーを近くに置くという抽象的な目的が受肉したものだろう。性的なものが好きなのは、子孫を残す目的のための手段の動機づけであることは明白だ。という形式で表せることの、前項部分と後項部分の中間ぐらいの抽象度で、「くっつけること」は人間の指向としてセットされているのではないか。

 ダジャレは、一見関係ない言葉を、同じ音韻という理由でくっつける行為だ。ラップもそれが楽しい。さらに、それが何らかの強いテーマを発するぐらい良い文章であれば、もっとうれしい。そんな強いテーマのもとに集められた言葉が、音韻という理由でまで結びつくことがうれしい。メタファーもそうだ。一見関係ない事柄が、気づかないような何かを暗示して表現していることがうれしい。エヴァとかジブリの考察は楽しい。寓話や風刺も楽しい。ただの風景画のように見えた絵が、実は政争を表現したりしているとうれしい。たとえツッコミも、視聴者の前で公然と起きた出来事を、まったく想像していなかった別の事物にたとえられるとうれしい。それが一見関係なさそうで、言われてみて考えれば考えるほど結びつきが強いことが分かるとめちゃくちゃうれしい。

 「くっつける」の意味が広範になりすぎると、じゃあ細胞が栄養を吸収するのも「くっつける」だし、何でもかんでもくっつけるで説明しようと思えばできるやんけ、ってなるけど、逆に、つまり人間の営みと同値とまでいえるぐらい本質的なことなんだよ、という断言に賭けてもいいような気がしないでもない。だって、「くっつける」ことを本質に置きすぎて、余剰なことをしすぎていると思うから。人間が。それぐらい抽象的なのに強い目標を人間は設定されているように思う。上述したダジャレとか、物質的存続にはいらないもんな。飯食うとか寝るとかセックスするとかは、やらないと即座に存続できなくなる即物的な目標設定だけど、韻踏みまくったラップを聴かなくても、エヴァを観なくても、物質的には人は生きていけるはずだ。なのに、物質的に生きていくための時間や金を消費してでも、やってしまう。これは、それぐらい物質的無駄なことをやることを許容してでも、必要だった目標設定だったんじゃなかろうか。その一見無駄な営みを差し引いても、トータルでプラスになるようなしくみが、この世界、もしくは人間にはあるんじゃなかろうか。遊びは仕事の練習っていう説があるような感じで。

 まあ、実は期待値はプラスでないかもしれん。そういうマイナスの要素もあわせもって目標設定された生物だけど、他の分野の能力が優秀すぎて生き残っているだけかもしれんし。たまたま、そういう特徴があるだけかも。あるいは、くっつけることが好きな性質はあって、物質的に豊かになった時代では目立つけど、本質要素全体からしたらどうでもいいぐらいの重要度なのかもしれん。あるいは、生存がマジだった時代では、もっと無駄じゃないことに活きていたのかも。あるいは、もっと上位の抽象度をもった概念があって、その一側面を見ているだけなのかも。

 分からんし、仮に「くっつける」が重要な本質だったとして、だから何?って感じはありますけどね。実はそういうことなのかもね~っていう捉えを、強力に否定する理由は、今んとこ、特に俺の中にはない。っていう話でした。