悠久バプテスマ

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end of gw

 こんばんは。いつまで寒いねん! っていう時候の挨拶で飛び出してきたのはこの男ぉ~! リアルバーチャルユーチューバー、Revin!(エンタ) 今週はずっと雨らしいですね。おかげで俺のジャージの股のあたりがずぶ濡れだよ。えっちな意味ではなくて、サドルが濡れていたからだよ。冴えないね~。

 今日は特に何かあって書いてるわけじゃないけどね、寝る時間のめぐり合わせで、今、非常に寝てなくて眠いの。このブログおよび前のブログを綴ってきたシチュエーションを顧みると、酒に酔ったりしてえげつない時にばかりだったということを知っているマニアもいらっしゃると思うのですが、なんか体調が悪いとかいうタイミングで書くんですね。不思議とね。つまり排泄みたいなもんなのかなぁ。あるいは意識が不明瞭である時にこそ筆は進む宿命なのかもしれない。酔拳みたいなもんだ。ほら、目がちょっと霞んできたりしてるんだね。疲れ目に目薬なんてもんが欲しくなるわけだが、どうもこの頃は市販の目薬と相性が悪いようで、目やにが出たり痛くなったり霞んだりして参る。それでも今は比較的良好な成果をあげる目薬を見つけ、しかもこれが、それまでに買っていたけっこう高めの目薬に比して非常に安価なやつこそが一番合うという、貧乏舌ならぬ貧乏アイズを双眸としてハメ込んでいたことを知る。やったぜ。ただの水なんじゃねぇかと思わないでもないが、ロート製薬って書いてるから薬の端くれだろ。そろそろ古くなってきたかもしれんので買い替えんとね。

 この頃は将棋にハマっていて、それも指す方にハマってきている。将棋YouTuberの方の動画とかよく見る。ほとんどそれでGWを過ごしたぐらいだ。元奨励会員のアユムさんとかひっきりなしに観ている。その動画を観ていると、ゴールデンウイークに体調を崩したのでしょうがなく将棋ウォーズをします、まさかゴールデンウイークに将棋を指すなんて、リア充が憎い、みたいなことをおっしゃっていたのだが、俺なんか体調万全である上に、将棋を指すどころか観るだけに終始してるわけだから、終わりオブ終わりやんけ。と思いはするものの、俺が自発的にそれが最善手だと思ってやってるわけだからしょうがない。家でゴロゴロすることこそが至高であるという根性に筋金が入っとる。旅行欲も出かけ欲もなければスロも行かなくなり女もおらんし、なのだから、妥当な判断である。ハァ~ッ、参ったね。

 あと最近はダイエットをしもやかさんと始めて動画になってます。

 今日は以上!

転売厨を生かしてはおけなくなった

 思惟のメモ代わりに書きとめておく。

 俺は最近まで、転売厨に比較的寛容であった。それは、概して言うと「弱肉強食」的な考え方が俺の中にあるからだ。「高く売れるものを安く買って高く売って何が悪いのか」「それがダメならスーパーなどの小売をも否定することになる」「スーパーを否定しない」「転売厨も否定できない」というロジックに正当性があると思う。ただしポジショントークとして、「俺が欲しいものが転売厨によって高騰していると困るから、鬱陶しいし居なくなってほしい」とも思っていた。存在してほしくないが、存在は否定できない、という立場だった。

 しかし、ある状況を想像して以来、転売厨は規制されなければならないと思うようになった。その状況とは、金持ちが毎日、ある地域の食料を買い占めるというものである。例えば、ビルゲイツの頭がおかしくなって、ものすごい数のバイトを雇い、毎日、東京都世田谷区の食料品を販売する店に開店前から並び、開店直後から店内の食料品をすべて買いあさってビルゲイツのもとに届け、ビルゲイツはそれをひとしきり愛でると廃棄するという遊びを始めたとしよう。世田谷区の人は、スーパーで食料品を買えなくなり、めっちゃ困る。世田谷区の人口は90万人らしいので、食費を仮に2000円/人日と考えると、18億円/日ぐらいあればできる。人件費などの経費も入れて20億円/日としたら、1年でも7300億円あればできる。ビルゲイツは9兆円ぐらい持ってるので、そんぐらい遊び感覚で払ってもまあ大丈夫である。資金的には、1年といわず、もっと延長することもできる。ビルゲイツが疲弊したら、ウォーレンバフェットが、ジェフベゾスが後を継ぐ。「世田谷区食料買い占め財団」などを設立し、永き未来にわたって世田谷区の食料を買い占めては持ち帰って鑑賞し、廃棄することを趣味とするかもしれない。そうして世田谷区を何十年もの間、食料なしにできるのである。俺らがそれをやめさせるには、法律でそういう行為を規制してもらうか、暴力に訴えるか、Amazonで食料を買うしかない。世田谷区民と一緒に徒党を組んで、トゲの生えたバットなどをかついで、店先に並んでいるバイトを片っ端からしばき、買い占めを阻止し、バイトの危険性を上げることで人手不足にし時給を高め、ビルゲイツの金がもつ期間を短くするとか、Amazonパントリーでツナ缶やパスタなどを買い、不在票を入れられると飯抜きなので玄関で正座して待つ生活を送るとかするしかなく、世田谷区民のQOLは下がるだろう。賃貸に住んでる人なら脱出できるが、世田谷にマイホームを構えた人は玄関で正座である。これはいけない。残る法律での規制が待たれるが、これを規制するには、転売との線引きが求められると思う。おそらく線引きはうまくできない。この買い占めの対象が食料ではなくティッシュとかの限られた品物であっても、やはりすげー困るし、金をもっと節約して世田谷区ではなく東京都あきる野市(人口約8万)にしても、あきる野市の人は困る。「いっぱい買って庶民を困らせるのは禁止」などといっしょくたに規制するしかないだろう。ビルゲイツを止めるには、平等の概念を打ち破るぐらい理不尽に庶民に有利な法律を作るしかないのではないか。それぐらいズルいルールにしてもらわなければ、我々は困ってしまう。我々のような庶民はそもそも金持ちの温情によって楽しく生きさせてもらっているのであって、イキって「弱肉強食」などという大それたことを言ってはいけないのである。

 ビルゲイツを止めるには、「庶民が困らないように」というようなエコヒイキ文言なしでビルゲイツの行為のみを抽出する客観的な条件をたくさん設定するか、「庶民が困らないように」というエコヒイキ文言を法律に入れる必要がある。「庶民が」を入れる場合、庶民なのでイキるのをやめなくてはならない。法律で優遇される弱者であるのだから、イキれるわけがないからだ。しかし庶民はイキるのをやめられないので、やはり客観的条件を揃えるしかない。しかしその条件を、行為の主体の状態に求める無理である。金持ち、という条件は、常に赤字になるような法人を作られて遂行されたりしたら該当しなくなる。法人ではなく個人を対象にしても、そういう個人事業主ビルゲイツがバックアップすれば相当抽出しにくくなる。行為でくくるなら、転売厨も巻き添えになってもらうしかない。つまり、転売厨を許すということは、ビルゲイツを許すことになってしまう。なので、庶民の俺は、転売厨を許してはならないと思うようになった。そういう感じです。

スマホ落とした

 おはようございます。今、会社のおニューのMacbookを家でセットアップなどしていて、チラチラ見ないといけないからがっつり別のことできるわけでもないという感じで中途半端に暇だから書いているんだよ。AppStoreってダウンロードくそ遅いね。そこからしか入手できないようになってるのにダウンロード絞るってお前。役所の手続きか。インフラっぽいサービスって、役所と化すんやね。まあそうなるのは世界の公理から導かれた定理みたいな感じだから詮ないかもしれん。

 いやーiPhoneを生まれて初めて画面割れさせましてね。俺は自転車にスマホホルダーつけてるんですけども、最近、自転車のライトが調子悪くてね。そのホルダーにiPhoneつけて、ライト機能で前を照らしてたんです。しかし、その日、つけ方が甘かったようで、道端で落下してしまったという顛末です。最初は、こうやるの、けっこうええやんと思ってたんだけど、最近は「これって落ちる可能性あるよな」とうすうす思ってたんだよな……。気づいてたのにズルズル続けて事故るとか馬鹿ですね。こんな高価なもんで代替するべきじゃなかったわ。自転車のかごの内側にジップロックみたいなのをつけて、その中に入れようかな、とか思ってたんだけど、実行する前にやっちゃったね。Appleの修理だと3万とかしますねん。自転車のライトをカバーしようとして3万! あ~後悔。その辺の非公式修理屋に行って、5000円ぐらいの格安価格で直すやつをやるしかないですかね。そうすると、もう公式からの修理は受けられなくなるんだけど。せっかく公式のバッテリー交換が今年無料なのになあ。アホアホアホ。まあ期待値が最大化する手段は、非公式格安修理かなあ。トホホって言葉がこれほどふさわしいシーンもなかなかないよ。トホホ。

 ところでなんか俺みたいな感じで記事書いてるブログって、あんまりないんですかね? 俺みたいな感じっていうのは、頭の中に流れてるようなことを、とりとめもなく冗長でくどく書き連ねるっていうことです。小説でいうと純文学みたいな感じですかね? 純文学の方は掴みどころのない登場人物がいっぱい出てくるのが多いけど、そうじゃなくて、一人でひたすらぐだぐだ言ってる感じのやつ。俺じゃない人が俺みたいなブログ書いたらどうなるんかなって思って、はてなのブログの新着とか見てみたんだけど、だいたい何かの確固たるテーマみたいなものを扱ったり、髪切ったとか風邪ひいたとかの何か強い出来事があったとか、どこかテーマパークみたいなところに行ったとか、そういう具体的な事象に付随する文書、って感じなんだよね。平場があまりない。YouTuberだとそういうのけっこうあるんだけどな。あ、でもそういうのやってるのって、アレな人ばっかりやんけ。ということは俺もアレな人なのか。ギャーーーーーッ!! イオンを探してオフ会開かなきゃ。もしそういうブログをご存知でしたら教えてください。

実録漫画「交通事故で頭を強打したらどうなるか?」感想など

実録漫画:交通事故で頭を強打したらどうなるか?

 ずいぶん前に人から勧められたWeb漫画を、ブックマークに入れたまま忘れていた。今日、ふとブックマーク一覧を見ていたら目について、試しに読んでみたらものすごく面白かった。面白かったっていうか、ひきつけられる感じ。人格というのは機能のひとつに過ぎないのだなぁと改めて実感する話だった。そう考えると、無邪気な人間観や、魂の存在を仮定する思惟や言説が、とても空虚なものに感じられてしまう。程度の違いこそあれど、日常的にもよくあることだ。例えば、とても優しくていい人がいたとして、好意的にその人のことを捉えていたとしても、その人が借金にまみれていたとか、犯罪歴があると分かったら、途端にその人のことを不気味に感じるかもしれない。この経緯だと、誰も異常だとは呼ばわらないプロセスによって認識を変更していると思われるだろうが、これが個人の脳内で、接触が悪かった記憶分野との伝線が繋がって、急に思い出す形でおこなわれたら、どうだろう。急に豹変したと捉えられるだろう。こういうことって、我々も日常の中にもグラデーションで潜んでいるように思う。ぜひともAWSに俺のAMIを保存しておいて、おかしくなったらインスタンスを差し替えてほしい。人間、いつだってデスノートに「心臓麻痺」と書かれれば不自然にならないほどには脆弱な身体を依り代にしているし、そんなノリで脳の配線がぶつっと切れたりすることもあるし、そのリスクを日々確率で抽選してる。そう思うと、なんだか手が痺れてくる。特に俺なんかは肥満でそのリスクを底上げしている。こわ~。しかしこれぐらいの確率の事柄について、人間の脳は相当に楽観視できるようにも設計されているようで、原発などもそうだが、我々はテールリスクには鈍感だ。話が逸れたが、この漫画を読んで、他には、洗脳って不幸なんだろうかというかねてからの疑問も思い出した。洗脳された人そのものは、洗脳されていて幸福とか感覚の受容自体も変革しているのだから、むしろ幸せかもしれない。恐怖を感じるのは、今の自己同一性を脅かされる周りの人間である。こういう話題になると、あたかも洗脳された本人が可哀想というムードになるが、そうなのだろうか? 洗脳は「死」に置き換えても同じ話だ。死んだやつは、死ぬ寸前はともかく、死んだ後は何も感じず、悲しみを感じているのは周りの生きているやつらである。葬式は生きている者のためにおこなわれるとはよく言うが、そこを履き違えている大人も存在する。まあ、世間を見渡せば、この程度のことを履き違えているやつがいてもおかしくはないと諸賢も思うだろう。脳障害、一番怖いかもしれん。めちゃくちゃ中途半端な切れ者の俺は想像するんだが、もっと高次の切れ者からしたら、俺らは全員脳障害を抱えてるようなもんだと思われてると思う。揶揄する意味ではなく、マジでそうだと思う。それは俺ら脳障害が想像するあからさまな池沼差別みたいな形じゃなくて、動物園の動物とか、そういう感じの愛くるしい形でおこなわれていると思う。俺、それけっこう我慢ならんねんけど、妥当だからどうしようもない。悔しい。もっと高い知能をもった宇宙人集団が、我々の生活をあざ笑うような効率で幸福を手にしていたら、めっちゃ腹立つ。できればそっちに移籍したいが、今の地球人ヒエラルキーの中でもそこまで高くないから入れないと思う。腹立つ~。そんな集団が現れたら、地球人の中のマジキチ行動を起こす層がマジキチ行動を起こしたりすると、情けなくて泣きそうになる気がする。取り入りたいのに、足引っ張りやがって。上場をひかえた株式会社が、社員に滅多な行動をとらないよう引き締めるみたいな気持ちになるだろう。

女を殴りたい!

 他には、この漫画が面白かった。すごい発想だな、と興味をひかれる。途中、めちゃくちゃ理解がある女に出会って、協力してくれる、みたいな都合の良すぎる存在がパートナーみたいになって、ちょっと冷めたが、パンチのきいた展開もあってなかなか読み応えがある。こういうのって、一昔前のラノベでよく思ったんだけど、型にハマっちゃうと「ああ、パターン入った」って思うよね。「相互補完的な関係の人間(主人公・ヒロイン)」とか「問題を抱える主人公(またはヒロイン)と、やたら献身的なヒロイン(または主人公)」とか、なんか見たことあるな~って感覚の上に、その動機が「定数」みたいに固定のものであることを感じさせると、途端に興味が失われてしまう。どんなにひどいことを言われてもその人のことを思って行動してくれる、とかは、現実でもそりゃあることなんだけど、定数だなーってなって、入ってこなくなる。「普通の運用」で事々物々はパスしていってほしいというか、妥当な判断、妥当な経過、妥当な判断、妥当な経過、の積み重ねで面白いストーリーが好きだ。この妥当な判断を生み出しやすいのが、金とか権力を争うストーリーで、欲しいやつ山ほどおるし、周りを蹴落とさないと得られないから、行動がいちいちぜんぶ妥当になる。心だけの問題で説明されると、妥当でなくなっちゃうから、パズル的美しさが欠ける。のではないかと思った。この漫画からはそういう香りが少ししたが、でもそれほどでもなくて、けっこう面白いは面白い。

 

 そういえばAmazonギフト券によるおひねりを設置してみました。なんかTwitterでnoteとかいうサービスで、クリエイター諸氏やエンジニア諸氏や経済人諸氏が、絵や文章の記事を公開していて、おー、俺もやってみたいなと思ったんだけど、記事を売ったりするのは、金払った人しか読めないってのが、俺ぐらいの読者人数からすると成立しない感じあるのと、手数料が高いのが微妙。その点、Amazonギフト券なら、手数料ゼロ。Amazonヘビーユーザの俺ならほぼ通貨に等しい。ということもあり、とりあえずこういう形でやってみることにした。さっそく1000円いただいたので、ブログもやる気マンになって書いてみた。よろしくね!

 あと最近の取り組みといえば、アイマスが好きすぎて、アイマスの同人ゲームを作っています。しかしデザインや絵に関してカスすぎるので、協力者を募集しています。よろしくね!

 あとはまあ、納豆食ってる動画とかですかね。最近は若干飽きてきたけど、ちょいちょいやると思うので、よろしくね!

謹賀新年

 年が明けてました。おめでとうございます。あけおめ。「あけおめ」って、元は「あけましておめでとうございます」なんだから、「あけおめござ」の方が平等じゃない?5文字ごとに区切って先頭2文字を代表させるなら。でも「おめでとうございます」は常套句過ぎてひとまとまりだから、2分割でいいのか。「おめでとうございます」を「おめござ」とは言わないしな。シードみたいだな。「おめ」は2回戦から登場。どうでもよろしいな。

 年始から、っていうか年末から、がっつり1週間強ぐらい風邪をひきました。最悪や。年末年始の医者やってない時期にひいたので、診察も受けられないままうなされてしまい、新年会も流れることに。終わりや。前回のエントリの内容があまりにも暗く、いつまでもこんなネガティブな文章の塊がブログのトップに鎮座するのもよくないと思って書き始めたのに、また悲惨な目に遭っとるが。しかも独りでいることによって一層苦しんだという事態を迎え、前回のエントリの内容で示唆したことが具体化しとるわけやが。怖っ。終わりやね。

 しかもその風邪が治ったかと思ったら、また一昨日ぐらいから風邪の兆候が出てきたんよ。しかも咳からきて喉が痛いと、直前の風邪の始まりと全く同じ出だし。こんなに風邪のインターバルが短いのは初めて。しかし今回は速攻で医者に行きましたね。そしたら、早すぎてインフルエンザの検査はあと1日ぐらい待たないと出ないかもねと言われる。タイミング難しいね。明朝、熱がすげー出てたらまた来てくださいと言われた。しかもその日は部屋掃除の外注を頼んでいた日であった。仕事は休むことにしたものの、部屋掃除は費用1万円がまるまる没収されるのでもったいなく、敢行した。掃除されてる間、ずっと寝てたわ。終わりの報告を受けて、また寝て。えらいもんで、風邪だと寝た直後なのにまたすぐ眠くなるし、一日の大半を寝て過ごすことになるね。その甲斐あって、復調したっぽい。よかったわ。

 そんで、こんなに短期間に風邪をひいてちゃやってられんので、なんか対策せにゃならん。まずは「1日1回納豆ご飯を食う」。栄養の偏りは病気を招くし、俺の栄養は偏りまくりである。スーパーマルチビタミン&ミネラルも飲んでいるが、食い物には及ばないと評判である。寄る年波もあるので、栄養のある食物を摂ってないといかん。が、俺はあんまり納豆が好きではない。ネギやら何やらの薬味をものすごく混ぜて、納豆ご飯としてご飯の上にかければ、ギリギリおいしいと感じるかなってレベルだ。なのでこれはほぼ確実に続かない。が、続けたいという意志の墓場としてここに書いた。他には「加湿する」。俺も冬場は加湿器を導入していたが、ゲーム機やPCのディスクドライブに入っているCDやらDVDやらブルーレイやらの裏面が曇りまくるから機械に深刻な悪影響が出ているのではないかという懸念、および、身体的にはイマイチ加湿されてる感じがしないのと、手入れの仕方が分からずしていなかったら一時期カビか何かを撒き散らしたらしく稼働させていると死ぬほど咳き込み、加湿器を止めると咳がピタッと収まる、という事態になったりしたことから、加湿器をやめていた。しかし風邪をひいている最中は特にそうだが、乾燥は風邪を促進するという。なので年末年始は部屋の中に物干し竿を架けて、濡れタオルを5枚ぐらい干すという苦行をやっていた。これが驚くほどすぐ乾く。つまり乾燥しているということなのだろうが、熱で身体がつらくてなかなかの苦行であった。やはり加湿器を使わないとやれない。ということで、加湿器復活である。加湿するからにはなかなかのパワーで蒸気を出せるやつじゃないといけないという思いから、据え置き機にこだわっていた。しかし強く出しすぎるから機械に悪影響が出ている疑惑があるし、困ったもんだなと思っていたら、友人が「水を充填する手間を減らしたくて微弱な蒸気の設定にしてるけど、それでも身体的に意味あると実感してるよ」と言っていたので、この前買って「蒸気が弱いわ」ということを主な理由に使わなくなった、水に浮かべるタイプの加湿器を再評価し、使うことにした。

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 コンビニかなんかのキャンペーンでもらった皿に水を満たし、隣に水をためたタンクを常備してある。4時間か8時間しか連続稼動しないのもクソなところだが、けっこう単純な作りで手入れがいらなそうなので、使っていこうと思う。

 あとは「喉を冷やさない」。これも風邪を招く要因である。うがいは習慣化していてよくするのだが、熱い飲み物をぜんぜん飲まずに冷水ばかり飲む。しかし飲食店とかで熱いお茶を飲むと「ああ熱いお茶美味いな」となるので、家でも飲むようにする。電気ケトルと湯呑みとお茶のティーパックを机の傍らに置き、お茶をよく飲むようにしたい。前にやってたドリップコーヒーとかもいいんだろうけどめんどくさい。ティーパックでしゃぶしゃぶする方がまだやる気がある。他には「寝てる時でも21度ぐらいで暖房をつけておく」。俺は寝る時には暖房を切るのだが、たまに寒いと感じることがある。乾燥が促進されて喉が明確に痛くなるので嫌なのだが、加湿器とのコンボで寒さを回避する。これをやっていこうと思う。

 いやあ、風邪を予防する細かいテクニックってどっかにパッケージ化されてねえのかな?なんかこういうのって、人類共通の話だと思うし、共有すべきことだと思うんだけど、決定版みたいなものが流通してなく、それぞれの考えに依存してるところ多くない?俺含め、非専門家が非専門領域でそれぞれ考えるとロクなことにならんのだから、パッケージ化して流布した方がいいと思うんだけど、けっこうパーソナライズしないといけないことが多いものなのかな?ダイエットの方法とかそうで、人によってやりやすかったり効かなかったりするものが違うから、決定版がない。強いて言えば「食わずに運動する」だけど、そんなもんできたら苦労せんねんってのはクリシェ級の前提であり、人に強さを求めるマチスモである。これと同様に、風邪対策も人によるところが大きいのかな?あるいは、人によってやってないかやってるかが定かではないところが大きく左右するから、際限がないのかな?これはどういうことかというと、例えば風呂で小便する人いますよね。これって「あるある」って人もけっこういれば「いや絶対ありえないでしょ」という人もけっこういて、生涯風呂で小便した回数って正規分布してないと思うんだよね。0回が5000万人で、1000回が5000万人とかかもしれない。んで、この習慣が風邪をひくファクターのひとつだとしたら、「風邪対策には風呂で小便をしないようにしましょう」という喚起が意味をなすが、0回組からしたら「は?当たり前やが」となり、風呂で小便することのクソさの議論にシフトしてしまい、なんやかんやあって、風邪の注意喚起としてはイミフになってしまう。というようなことがたくさんあるので、人類を貫く風邪対策を発表しにくい世界になっているのではないか?ということである。そして風邪注意喚起人が怯えて「あったかくして寝ろよ~」ぐらいのことしか言わなくなってしまっているのではないか。人は誰しもよく分からん習慣のひとつふたつぐらいはあるから、それが風邪を促進しているかもしれないことはなかなか他の人には気づいてもらえないのもあるだろう。だからけっこう抽象的な喚起に留まらざるを得ないのではないか。ググっても変なキュレーションサイトのクソ記事しかなさそうってのも調べる意欲を削ぐ。まあとにかく上述のことをしていくような気力が現時点では充溢している。継続しない可能性ガン見の言い回しになっちゃった。またね。

孤独が趣味的生活を追い落とす

 俺はポケ森ガチ勢をやめたぞジョジョーッ! というのも、せっかくやってもパラメータの上限に達していることによって、無駄が生じてしまうからです。建物を建てないと動物との親愛度の上限が増えず、建物を建てるよう設定しても、建つまでに72時間とかかかるので、どうしても上限のままのやつがいて、贈り物をしても親愛度が捨てられちゃう。そういう悲しみを感じていると、ふと、なんで俺は動物に3時間ごとに贈り物をしているのか、という疑問が生じて、なんか我に返ってしまい、不毛感が頭をもたげてくる。という理由です。まあちょいちょいは、やります。
 不毛感といえば、この頃は人生そのものに不毛感がある。なんか日々の暮らしはまあそれなりに、物質的には楽しくやっているのだけど、それ以外がどうもね。俺はかなり飽き性……のような、そうでもないような。配信とか、気に入ったシミュレーションゲームとかは10年とか800時間とかやってるんだけど、基本的には割と簡単に飽きてしまう。んで、人生そのものに飽き気味である。なんかダラダラとおもんなくてやばい。美味い飯食ったら美味いけど、言うて美味いだけやし、面白いゲームやっても面白いけど面白いだけ、とまでは思わんけど、それがどうした? って思う瞬間はある。昔、遊園地に、ゴムか何かでできた球体の中に入って、中で飛び回って遊ぶようなやつがあった記憶があるが、その中にずっといる感じ。その中にずっとおらなあかんかったとしても、中ですげー飛び方とかを研究して遊ぶ余地はいっぱいあるけど、球体ゴムの中でずっとそういうのをして、だから何なの? って感じ。結局、俺の脳が何を感じるかやんっていう感がすごい。じゃあ覚醒剤でよくない? みたいな。身も蓋もない。結局、そういう「だから何?」とか「脳内の問題やん」みたいに思ってしまう体験と、そうでなく得難いと感じる他の体験の差って、構造的な差異ではなく感動の大きさの違いなんだと思うんだけども、つまり普段の感動が少ないってことかもしれん。仕事では、目先のちっさい目標を、パズルを解く感覚でやっている。だからまあそうしている間は、俺はパズル好きだし、パズルならまあまあ熱心に時間を潰してあんまり不快感もなくできる。で、酒はなんかぼんやりできるから飲む。飯は美味いから食う。膨大な空白スケジュールをなんとか頑張って埋めてる感がすごい。しかも面倒がりだから、面倒かもしれんことはなるべくしないで済むような生き方をしている。24時間の大部分を必要以上に空けて、その空いた時間をどうでもいいことでなんとか埋める。クソゲーだと思う。すべて面倒くささがそうさせている。とにかく動くのがめんどくさい。
 人にウケようと思うことも結構な原動力で、それをテーマに時間を埋めている人もいっぱいいる。芸人とか経営者とかってそんな感じだと思うし、やりがいみたいなものを仕事に求める人も多いし、飲食店でも「お客さんに喜んでほしい」ってマジで思ってやってる人とかもいる。自分の手の届くちっさい範囲でも、社会全体みたいなおっきい範囲でも、そういうテーマを多からず少なからず持ってる人って多い。俺も作家志望とかゲームクリエイター志望とかやってた頃はそうだったんだけど、今はけっこうどうでもよくなっている。例えばなんかすごい映像作品を作ったとして、それが誰かの一晩の飯のお供として楽しく機能したとしても、あるいは映画館とかで上映されて1時間なり2時間なりの時間を楽しくさせたとしても、あるいはその時のみならず巷で話題にのぼるほどたくさんの人々を熱狂させたとしても、それって何やっけ、って感じがする。そんなことになったことないから、それはメッチャうれしいことなんかもしれんけど、目標地点とする魅力が弱い。かつては弱く思わなかったのになあ。インポになってしまったのか。ボタン押したらそうなれるなら押すけど、そんなボタンはないし、能力的に努力なしではそうなれない。期待値が低い。
 あと性格も悪い。これ俺は長い間にわたって無自覚だったんだが、けっこう悪い。どう悪いのかという性質的な分析はとりあえず置いておいたとして、客観的に悪い。客観的に悪いからこそ今になってだが気づいたのである。これが客観的には悪くなかったら、一生気づいてないと思う。というのも、よく考えたら、おそらく俺の発言によって俺の周りを去った人間がなかなか多い。特に女。実況時代、えげつない顔が判明してからの配信時代を経てもなお、そこそこ女からのアプローチはあったのだが、そのすべてが最終的には俺の周りから消え去っている。例えば、ある女配信者は俺のことを好きだと言っていたが、俺は「どうせネタで言ってんだろ」とか「彼氏おるくせにうるさいわ」とかいろいろボロクソに言ってしまって、最終的には別の男配信者と付き合ってヤリまくってどっか行った。別のある女配信者は、いつだったか、別の男配信者にお互い誘われて、ネット麻雀をやる機会があって、その時にすげーファンだと言ってくれたが、俺はまた「女ってこういうところあるよな」とか「クソ女らしさが出てる~」とか言って消え去ってしまった。ある女視聴者は、年季の入った俺のファンだと言ってくれていたが、「じゃあ会おうよ」とか誘ったらまごまごしていたので、「まごまごすんなやめんどくせー」という主旨のことを言ったら消えてなくなった。あれ? 俺が悪いやん。性質的分析できとるが! 単純な帰納でびっくりしたわ。基本的に男配信者も仲いいやつほとんどおらんし、よく袂を分かつし、やっぱり性格悪いんやろうなあ。わずかに書いた先述の発言からしても、みなさんは気づかん方がどうかしとると思うんかもしれんが、本人は自分の息の臭さになかなか気づかんのよな。なんで性格悪いんやろ。照れ隠しのためにロクなこと言わんのかなあ。なんかガッカリやわ。機械的にとにかくへりくだるとかが単純な対策として浮かぶけど、それ我慢ならんもんなあ。「おごりが当たり前~」とか言ってる女にはボロクソ言いたくなるし、「太ってるお腹触りたい~」とか言う女はナメとんかって思うし、そのナメを指摘せずにはおれんし、やばいな。えっ不治の病。悲しくなってきた。でも俺が生まれのクソ環境から立身するにはそういうねじれ方するしかなかったからなあ。レベルEの、雨季と乾季の差が激しすぎて、オスがメスを捕食する生物が知性を持ってしまった悲劇を思い出すわ。困るわあ。
 そういう世界観なのに、孤独が趣味的生活を追い落とすんだよな。楽しく生きているはずなのに、なんか虚しい。大きな物語がない。自分の外に弱点を持たないようにしてるから、俺の脳内に楽しい物質が流れていればそれでいいとなってしまう。覚醒剤でよくなる。俺以外の領域にある何かもいい状態にしないと楽しい物質が流れない、という状況でないから張りがない。じゃあ唯我的ではなく、そういう生き方をすればいいのに、めんどくささと損得勘定がそれを妨げる。孤独が趣味的生活を追い落とすと先人が言い、20代は笑っていたが、30代も半ばに近くなってだんだん肉薄してきている。自分がそんな性質だったことに驚くが、けっこうもう後戻りできないところまで来ている。生活は容易には変えられん。性格も容易には変えられん。ただただ孤独が迫ってくるが、その欠乏のシグナルに応えることは総合的に考えて無理である。対症療法を続けていくしかないのか。不毛である。