悠久バプテスマ

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ぼっち・ざ・ろっくを視聴した感想

 ぼっちざろっくを観た感想。を書きたいのだが、感想の大半が俺の個人的な経験なくしては抱かないはずのものなので、感想と呼ぶのに躊躇する。が、書く。

 末尾からのコピペなのだが、要するに「最高だった。学生時代の理想を見せられているようだった。俺はこういう最高のことをやりたかったがやれなかった。もうちょっと環境が良ければ至れたかどうかギリギリだと思うのに。これまではまだ可能性がある側の気持ちでいたので、こういう素晴らしいものを作り上げる若者の姿を描かれても「なかなかやるね」ぐらいに思っていたのが、もう後に何にもない年齢になってきたので、素朴に羨ましい。羨ましいが、もう絶対に得られない。羨ましすぎて死にたくなる。今後の人生は、これらとの格闘になるのだろうという予感しかしない」ということである。

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BLACK SHEEP TOWNネタバレあり感想

 もう追って何年になるのか分からない瀬戸口廉也さんの新作ノベルゲームがSteamで発売されたので、プレイした。金曜を休みにしたので、金土日月の4連休だったが、そのほとんどを費やしてしまった。毎日巡回しているYouTubeも見ず、デイリークエストを消化するソシャゲ以外は他のゲームも全然やらず、延々とやっていたのに、月曜の昼過ぎである今までかかった。寝る時にゲームを起動したままスリープしていたので、プレイ時間は120時間ぐらいになっているが、実際にはどうなのか? 寝てる時間が8時間だとしたら残りは16時間で、およそ8割ほどを費やしているのだとしたら45時間ほど? Twitterで見ると30時間かかったという声は見ないから、だいぶ遅いな。娯楽が長持ちしていいといえばいいが。

 端的な評価としては、80点ぐらいなんかなぁ。ゲーム中に感想をメモしていたので、それを交えながら、なるべく書く。

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「トライアングルストラテジー」の全ENDを見た(2行目からネタバレ)

 2022年3月4日に発売されたスクウェア・エニックスSRPGトライアングルストラテジー」の3ルート+真ルートを見ました。所要時間はおよそ100時間ちょっと。この次の段落からネタバレがある。

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デトックス

 最近はTWOSHOTというラジオ番組をしておりまして、それはものすごい長時間収録をコンセプトとし、いや、コンセプトというわけではないんだが売りとしており、その長いラジオでは日常で感じたことをマテリアルとしてすっかり放出してしまっているため、こっちのブログに書くような内容はスッカラカンなのである。ただ、TWOSHOTというラジオはゲストを一人迎え、その人と語らうという内容であるため、いわゆるメディア上の制約というものがある。それはもちろん、俺が一個の人間に対して口語で語るという制約だったり、人間同士のコミュニケーションとしてある程度円滑に進むようなフローの話題を踏みしめる必要があるというような制約、常識的に憚られるようなテーマの話題を避けるような制約だったりがあるのだ。そうすると、内容の源泉がラジオと正面からバチバチに対立するこのブログというメディアを活かすには、当然、ラジオでは制約上話さないような話をしたくなったような場合しかなくなったといっても過言ではない。実際、直近の記事は、おかんが死んだ話の詳細であったり、相続放棄の手続的詳細であったりなど、口頭特有のふわふわした陳述では済ませたくない特異な内容ばかりが続くことになる。つまり、今回こうして記述しているのも、ラジオではできないような要素を多分に含んでいることを発表したいからだということに他ならない。"発表"などというと大仰で、何か期待されるかもしれないのだが、残念、酔っているだけのことである。酔っ払っての放談というのは、ラジオでは避けられるべきことなんですね~。ウザがらみはウザいからね。1400日にわたる禁酒は一週間ほど前に終わりを告げ、すっかり飲酒おじさんになってしまいました。俺は酔っ払うと純文学的な気分になり、俺の人生こそ、何か示唆に富んだ重要なものなのではないかという錯覚が勃興するんですよ。これって20代の若者にはありがちな感情なのではないかと思うんですよ。何かに懊悩している自分こそが世界のファクトと近い場所に在り、凡百の生命体とは一線を画する状況だ。そんな気持ちを諸賢も一生のうちに一度は持ったことがあるでしょう。もちろん俺は何度となくある。しかし俺ももう37歳。たいへんお恥ずかしい限り。もはや在りようだけで何かを恥じなくてはならない年齢というものはおそらく存在し、たとえば還暦を迎えてウンコチンコで笑っていると一般的には恥じなくてはならない。「60にもなってウンコチンコで笑ってるって、引くわ~」というのが普通の感覚であるように、37にもなって自我の唯一性を盾にして神妙な顔になることも、当然恥ずべきことである。ああ恥ずかしい。
 そういうことを詳述したいわけではない。物を書いてみるとなかなか面白いね。もうほとんど文章って書かなくて、マジでこのブログでしか書いていない。他に書くことがあるとすれば、仕事のSlackで人に機嫌よくコミュニケーションを受け取ってもらう時ぐらいである。しかしそれもこうした文章とはまた別種のものであるからカウントするべきではないだろう。文章を書くというのは、ゆるい論理式の構築であり、ルービックキューブを手遊びにカチャカチャやっているような感じがしてちょうどよい。主観に基づいて文章を書くというのは、アナログからデジタルへの変換のような感じ、というよりは、アナログ的に存在する散布する地点を、鉄骨で繋ぐようなイメージがある。どういうことかというと、例えばある人が「なんかイライラしてる」と言ったとする。これはその人の頭ん中で色んな要素が絡み合って起こっているその人の様々な状況を、端的につまみ上げて述べているに過ぎなくて、ゴチャゴチャ、ゴチャゴチャ、何かしらの思考や反応が多様にうごめいているところを、無理やりに代表させた結果である。「なんかイライラしてる」裏には「でもちょっと嬉しい」とかが潜んでいるかもしれないし、「歯がゆい」ことも混じっているかもしれない。でもそんな芋づるをわざわざ詳述してらんないから「なんかイライラしてる」でとりあえず代表させる。アナログ→デジタルの標本化で失われているのである。で、「なんかイライラしてる」で完結してもいいのだが、もっと深みを増したい場合もあるかもしれない。その時、彼は「なぜなら人が俺を理解しないからだ」という新しいノードを追加してもよい。そしてこのノード同士を「だから」という矢印で接続し、「ああ、この人がなんかイライラしてるのは、この人のことを理解しないからなのだなぁ」という風に解釈できるようにしてもよい。単純な論理式を組んで置いとくことにより、ちょっと解像度を上げ、より妥当になる。しかし、こんな調子でノードを何個置こうが、その人のアナログな感情の解像度には遠く及ばない。どれほど言葉を尽くそうがだ。その人が自分のアナログな感情を誤認している可能性さえある。時々刻々変化してもいよう。分からんのである。しかし、書いた以上はそこに固定される。その人は「なんかイライラしてる」し、本人がそう言ってるし、対外的にはしばらくなんかイライラしてることになる。本人が何を言おうが、本人だからこそ分かることなどほとんど無視できることであり、自分の感情について述べようと、その辺の地面を掘って石がでてきたわ~、不思議だね~、と何ら変わらんのである。
 あれ? こんなことが書きたかったんだっけ? まあ酔うとこういう塊が出てくる。

相続放棄に自力成功

 父の相続放棄の手続きを自力で行ない、受理された。やったぜ。

 役立つかもしれんのでサンプルケースとして流れを残しておく。この通りに行くとは限らないことはご承知ください。

 俺のケースでは、父が兵庫県神戸市で2021年3月頃に死んでたらしく、弟からの連絡で発覚したのが11月末、死亡が戸籍に記載されたのがその1週間後ぐらいの12月頭。残債>物件価値のマンション持ち。総資産はおそらくマイナス。俺は東京都在住。母はすでに死去。妻帯者の弟が1人いて、他に相続人はいない。

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おかん死去

 11月30日0時ごろに、おかん死去。
 死因は肺高血圧症と間質性肺炎ということだった。もともと、指定難病である強皮症という病気にかかっており、そう診断されたのが約8年前。強皮症自体の5年後生存率は、ググると90%台という情報もあり、そんなに低くないようだが、さらに条件付けがあるとガラリと変わるようで、医者には5年後生存率は約半分と言われていたようだ。死因となったような病変を持っていることによって、予後が著しく悪化するらしい。8年ならよく頑張った方だという。

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