悠久バプテスマ

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飽くなき無職への希求は死んでいない

 ニートへの希求、無職への希求を俺はいつでも心に持っているつもりであるし、これまでも持ってきた自負がある。三年前、俺がとうとう普通の就職をしてしまったおり、知人に「気骨のあるやつはいないのかよ~」と言われたことがある。俺は何も言い返せず、ただただ唇を噛むしかなかった。彼の言うとおり、俺にはふらふらした生活を貫きとおす無職力がなかった。しかし、心にはいつも、無職がある。
 行動に一切の強制なく、誘蛾灯に群がる鱗翅のように興味をひかれた事柄に時おり没頭したり、しなかったり、どうでもいい手遊びに興じたりすることが可能な身上こそゴールである。そうなるために生きていると思っている。端的に言うと、ニートや無職に憧れている。こう表明すると、大抵は、ニートや無職に対する煽りだと捉えられるが、とんでもない。本当にそうなりたい。だって、上位互換じゃないですか。ニートや無職みたいな生活ができる状態で、仕事みたいなことがしたいならすればいい。それは強制ではなく、やりたいことだから、やっている。それがやりたくないことだったら、そもそもやらないでいい。途中でやりたくないことに変化したら、すぐにやめることができる。あまりにも特権的すぎる。
 働かないやつはカスだ、みたいなことを言う人がいるが、それは、無職やニートになるわけにはいかない悲しい身の上にあり、その悲しい身の上を、そうでない身の上のやつはカスだと思い込まなければ精神を保てない人間ということなのだと思う。素直に考えたら、Aしか選べない状態より、AもBも選べる状態の方がいいに決まっている。どうせAを選ぶ人でも、Aしか選べない状態ではなく、AもBも選べる状態でAを選べばいい。少なくとも、Aしか選べない状態の方が価値が高いということはない。どれだけ悪く見ても、同じ価値である。また、社会に対して貢献しないのは悪いことだと糾弾するのは、恫喝と何ら変わらないと思う。強盗のようなものだ。人を同調圧力やら規範などで脅して、社会とかいう抽象的で大きなワードを使って薄めてはいるが、自分が社会の下にいることを踏まえて、奉仕しろと言っているだけである。人として、とか、まあそれはもう詭弁を弄するが、我田引水の変奏に過ぎん。この手のヤクザは、聞く耳を持つふりをしないと怖いが、本質的には持たんでいい。これは我々が善悪の善に立っていて悪側の権謀術数への対策としてこうするべきという論ではなく、単なるパワーゲームの心得だ。例えば、転売厨視点での転売糾弾も、聞く耳持たせたもん勝ちの恫喝である。これを押さえていないと、ヤクザに幸せを吸い取られたり、幸せを得る機会を喪失させられたりする。もっと恐ろしいことには、幸せの感受性を変容させられて、ヤクザに殉じることこそが幸せだと思うようになってしまったりする。
 なので、今のところ俺の無職観は、社会貢献ヤクザなどのヤクザたちからは概ね解放されており、その輝きを維持している。無職最高。もうすぐ対象年齢から外れるが、ニート最高。そして、それを実行している人は最高である。無職を将来にわたって実行し続けられる確信を得て実行している人はあまりにも最高だし、将来のことなどまるで考えずにとにかく無職をしている人もなかなか最高である。イデア界の美を目指して橋本環奈どまりといったところか。俺なんかは、仕事なんぞにかまけて、無職をぜんぜん実行できていないカスである。憧憬に身を任せて、何も考えずに無職をやることにビビっているチキンなのだ。どうせすぐお金がなくなって終わってしまうから、それならまだ働いてもう少し生きながらえた方がいいか、と思うぐらいの悲しい身の上であるだけなのだ。だが、そんな現実から目をそらすために、自分を守るために、無職への憧れに泣く泣くマイナス1をかけて、恨みに変換して、それを蔑むことで、無職になれない自分を慰めるような愚行はするまい。どれだけ日銭を稼ぐことに大切な人生の時間を奪われようとも、醜い価値転倒は起こしちゃいけない。それが俺の矜持である。

太っていて困ること

 太っていて良くないことというのはたくさんある。たくさんあるが、俺は太ることを長年やめていない。なぜか。それは食べ物が美味いというのもあるが、太っていて困ることのひとつひとつに直面する時、それ単体の困り具合では、太ることをやめさせるには弱いということがあるのではないかと今日思った。例えば、太っていると食費が高いが「まあそら食費もかさむやろ、こんなけたくさん食えば」と納得してしまうのである。自転車に乗っているとパンクしそうだな~と思うし、実際、常人に比べてパンクするペースがすごく早いのだが、「パンクの修理費なんて5000円ぐらいやろ。まあそんなに頻繁に起こるわけでもないし」と納得してしまう。各個撃破すると弱いのだ。1対100の喧嘩でも、100人を同時に相手するわけではない、せいぜい4、5人ぐらいしか同時にかかってこれないのだ、それを20回そこそこ繰り返すだけだ。とはどこの喧嘩師が言った台詞か忘れたが、1対100をマジでやるのと1対1を100回やるのは意味が違うのである。つまり、太っていて困る状況も、日常の中でひとつひとつ出会うペースで対戦すれば全勝してしまうが、集団でかかってこられれば、負けられるのではないかと思う。なので、太っていて困る状況を箇条書きでたくさん集めて、それをワッと一気に見れば、嫌気がさして痩せようとするかもしれない。

  • 食費がかさむ
  • 肉がかさばって居住まいが悪い
    ⇨寝ていると喉の肉が喉を圧迫して苦しい
    ⇨寝ていると喉の皮が段腹みたいになって外気と接しない部分があり蒸れる
    ⇨腹の肉が段腹になって外気と接しない部分があり蒸れる
    ⇨腹の肉が腹の肉を圧迫して苦しい(作用・反作用のいずれも俺の身体なので)
  • 寝ている時に無呼吸になってしまう
    ⇨頭がものすごく悪くなる(最近記憶力などがやばい)
  • 身の周りの物が壊れやすい
    ⇨服のサイズが異様に大きいので買いにくい
    ⇨服がすぐ股ずれする
    ⇨自転車がパンクしやすい
    ⇨椅子などが壊れやすく、耐荷重をクリアできないので保証されにくい
  • 死にやすい
    高尿酸血症痛風)※罹患中
    ⇨高血圧症 ※罹患中
    ⇨肝機能障害 ※障害まではいかないが進行中
    尿道結石
    ⇨いつでも脳の血管が詰まって死ぬ
    ⇨心臓の負荷が高い
  • 醜い
    ⇨自分の姿で気持ち悪くなる
    ⇨人に好かれない
    ⇨モテない
  • 社会的評価が下がる
    ⇨就職しにくい
    ⇨頻繁に馬鹿にされる
    ⇨能力が低い者につけ入る隙を与える(いい面もある)
  • 課税が検討されている
    ⇨世の中では課税を歓迎する向きがある(彼らが最初共産主義者を攻撃したとき)
  • 保険に入りにくい
  • 医療費がかかる

  まだまだあると思うので、思いついて飽きてなければ追記していきたい。

クソバカレーティング制度を待望

 Twitterでイキる人を見てよく思うのだけど、そのユーザのクソバカレーティングをフォロワー数の隣に表示するChrome拡張が欲しい。クソバカレーティングとは、明らかに間違った情報を真実であるかのように流布したり、真実であることの確実性が著しく低い情報を真実のように流布したりしたアカウントが下方修正を受け、真実を述べたアカウントが上方修正を受けるような指標。真偽の判断は常に公開され、将来にわたってWikipediaのような感じで修正可能。変更の都度、レーティングは再計算される。できれば名言的な論理を用いていることも下方修正の対象にしたい。これは個人的に普段から観測の届く範囲でやってるし多くの人も同様にやっていると思う。わざわざChrome拡張にしたいのは、自分のためだけに使うのではなく、言ってることメチャクチャなのになんか取り繕うのが上手くて言うことを真に受けられているクソバカを「こいつクソバカやぞ」と多くの人に知らしめて信用を失墜させることが目的。クソバカなことを言うことが評判を損なって本人の損になるようにすれば、真実やいい情報を発信するインセンティブが生まれて、流通する情報の質が上がる。なんか情報統制みたいですごく悪いイメージがある提案だと自分でも思うけど、あんまり考える力がない人は考えない方が周りの迷惑にならないし本人も幸福になりやすいのでは?と考えているので、実はいい方法なのではとある程度マジで思う。自由も、あまりにも自由だと何していいか分からず困るという人はいる。同じようなことだと思う。

 全体幸福のために、ある行為のリスクを人工的に生むというのは、刑罰とか、会社を無断欠勤したら給料が出ないなどのしくみがそうであるように、日常的なものだ。飲酒運転したら勝手に口座から100万引かれるしくみが実現したとしたらものすごく減ると思う。俺はユーロトラックシミュレータというゲームをやっているのだが、このゲームではトラックを運転していてスピード違反などをすると勝手に口座から金が引かれる。それでも俺は気が向いた時にスピード違反するが、ゲーム内の金がもっと俺にとって価値あるものであれば、スピード違反をやめるだろう。だって損だから。でもこれは経済規模や基盤などが普通の人にしか通用しないことで、元々全然金を持ってない人にしたら自暴自棄になる可能性を押し上げるだけで結果的に自暴自棄になる人が増え治安が悪化してみんな損するかもしれない。生活保護廃止とかしたら、たぶんそうなる。現実社会にはいろんな人がいるから、実はこの手の現象が起こることを見逃しているかもしれん。でもそうではないなら、スムーズに罰せるしくみはいいと思う。

 クソバカレーティング制度、できてほしいなあ。「地球は青い」とかばっかり言ってるやつがレーティング1位になるというギャグみたいなオチになりそうだけど、別に全体の1位に価値がある指標として扱わなくてもいいと思う。池田信夫とかはこんぐらいで、東浩紀とかはこんぐらいなんだ、というような特定の人たちだけでその数値で比べればいいと思う。見たい~

冷たい水をできるだけ面倒なく飲みたい

 喉風邪を今年もひいた。去年、今年と連続である。俺の場合の喉の風邪というのは、風邪をひいてちょっとしんどくなってア~~という期間が2日ぐらい続くところまでは普通。しかし、その後あんまりしんどくなくなり、ラーメンおよび餃子およびチャーハンしか食べられなかったところが、エビチリをつけることができるほど食欲が回復してきてもなお、咳が止まらず、吐き気が誘発されるぐらいに激しく咳き込むのが二週間ぐらい続くやつである。喉喘息というらしい。まだ二週間経ってないので、今年も二週間ぐらい続くのかは分からないが、まったく同じ軌跡をたどっているから多分そうだろう。なかなか鬱陶しい。

 そして風邪をひいた中で、もっとも面倒だったのが、水をくみにいくことである。前に浄水器を買ってそれから出る水をゴクゴクしていることは書いた。

 

 しかし夏になれば暑くて、これまでは夏でも蛇口から出る水をそのままゴクゴクして別に平気だったのだが、今年はなんか冷たいのが飲みたくなって軽く悩んでいた。ブリタで冷蔵庫で冷やす手を考えたが、俺んちの冷蔵庫は小さいので、水差しなんざドアポケットに入らないし、冷蔵庫のボディ部分に横にして入れると当然水がこぼれ出る。なのでブリタは無理。ということで、横にできる水差しを買った。

 浄水器から出した水をこれに入れて、冷蔵庫で冷やす作戦である。ブリタは水道からフルパワーで水を出して入れればいいのに対して、浄水器の水の出はちょろちょろしているので、ちょっと時間がかかるのがネックだが、ネックはそれぐらいである。これで冷やした水を、タンブラーに入れて飲み、なくなったら冷蔵庫に向かって水差しから水を入れて戻る。水差しの水も枯渇したら、それに浄水器の水を満たして冷蔵庫に入れる。これで冷たい水問題は解決したかに見えた。

 しかしながら、少し前の話に立ち返って、風邪をひいていた間に感じたのは、冷蔵庫との往復の面倒臭さである。寝っぱなしで立ち上がるのがだるいけど、水をよく飲むことが重要だからタンブラーの水を飲む、でも500mlぽっちだからすぐなくなる、往復運動がだるい。これは別に風邪をひいている間に限ったことではなく、普段からもだるい。集中するべき作業をしていることが多いから、いらん中断の機会は減らしたいし、単に面倒でもある。

 どうすべきか。まず考えたのは、足元にミニ冷蔵庫を置くことである。これができれば話は早い。そこに上記のアクリル冷水筒を入れれば、タンブラーの500mlごとの往復が、アクリル冷水筒の2リットルごとで済み、中断機会は4分の1に減る。もっとアクリルが入る冷蔵庫のサイズであれば、入るアクリルごとに2分の1になっていく。

 そしてAmazonで例によって冷蔵庫を探してみると、まあまあの値段でけっこうある。

 

  これは5980円。

 

 これは6999円。

 

 9800円。

 

 47リットルも入るやつでも10800円である。

 1万円で買えるならけっこう安いやん。

 しかも冷蔵庫なら、コーヒーとかビールとか牛乳とかを入れたりもできる。これは素晴らしいのでは?

 と思ったが、レビューを見る限り、どうも結露で水浸しになったり、音がうるさかったり、あんま冷えなかったりするようである。

 しかも捨てる時は、小さいからといって、普通に捨てられるわけではなく、通常の冷蔵庫と同じリサイクル料金がかかるという。

 あと一番の理由だが、こういう欲望を持って、実践した人が周りにいなかった。世界のどこかには存在してるんだろうが、直接質問できる範囲にいないのではダメだ。成功、失敗、留意点などの体験談を聞けない。かといって、すべてを切り開く先駆者になるには、ちょっとコストが勝る感覚。

 なので諦めた。

 あとこれについて生放送中、視聴者に聞いたおり、やけにものぐさを責められたが、設備投資して効率化して浮いたリソースを別のことに投じて設備投資を回収してさらに利益を生むことを目指す活動は、我らが資本主義社会においては正しい姿勢だと思う。他に浮いてる時間をそうすればいいというのも本質的でない指摘で、別の無駄がまだ存在するからある無駄を省くことを否定するのは常にナンセンスだと思う。例えば、俺はミネラルウォーターを買う金をケチって浄水器を導入して、リットルあたり何円とかをケチっているわけだが、そんなみみっちい金を捻出するよりも先にスロットなんかに費やす無駄金を止めろ、などとよく言われる。それぞれの事柄の効用が金銭のみに効くのなら正しいが、スロットをやめるとビガビガによるストレス解消が失われてしまう。子供の頃に「遊んでる時間の半分でも勉強したら、成績が伸びるのに」と言われた経験はないだろうか。遊んでる時間は、成績に対して無駄であり、例えば飯食ってる時間も成績に対して無駄である。圧倒的に長い遊んでる時間を省くのが成績に対してはより有効であるが、それは成績以外の、例えばやる気とか幸福感とかに大きな悪影響が出る行為であることが多かろう。それなら、飯をパパッと食える好きなものに変えて10分ぐらい稼ぐという、あまり悪影響のない時間の作り方を優先する選択はあり得る。でもやる気とか幸福とかが見えてない、母親とか教師とかの人は、遊んでる時間の方が長いのに飯食う時間を削るとかおかしいと怒る。そういう話である。こういう経験を踏まえていれば、ある他人のそうした判断に直面して、自分が母親とか教師とかの側に立って意見する場面に遭遇しても、こういうのって隠れた変数があるだろうなと慎重に想像し、母親や教師と同じ轍を踏まないようにするのが理性、悟性というものだと思うが……。というような見解の表明も、ある人たちにとってかかれば「効いてる効いてる」で一笑に付されてしまうのであるが……啓蒙は俺の仕事ではないので失礼する。

 話がだいぶ逸れたが、その生放送中に、ものぐさ冷蔵庫却下の代案としてもらったのが、クーラーボックスを使うという手である。しかしこれは、氷かなんかを大量に入れとかないといけないんだろうし、一人暮らしのそんなに大きくない冷蔵庫の冷凍庫で製氷皿並べても足りないだろうし、面倒そうであるのであまり考えなかった。

 したら往復を甘受するのか……というところで別の代案としてもらったのが、魔法瓶に冷たい水をいっぱい入れとくという手である。

 

サーモス ステンレスポット 2.0L ステンレスブラウン THV-2001 SBW

サーモス ステンレスポット 2.0L ステンレスブラウン THV-2001 SBW

 

 これは正直、シビれた。クーラーボックスほどは氷を入れられないが、魔法瓶ぐらいになら必要な量の氷は作れる。俺が冷やした状態を維持したいのは、けっこうな時間が経っても水が悪くならないようにするという意味もある。だから冷蔵庫という発想が最初にあったのだが、水だけを冷やすなら別にこれでも同じ効用が得られる。電力ではなく氷および容器の保冷効果により冷たさを維持する。10時間ぐらい維持できるという話である。これだッ!と思ったが、これに入った水をさらにタンブラーに移して飲むわけで、冷水筒→ポット→タンブラー、と移し替えすぎである。面倒臭さが頭をもたげる。なんとかならんか?と思っていたところ、出てきたのが水筒という選択肢である。

 

 結局のところ、俺はこれを買った。直飲みできる水筒。ということは、でけぇタンブラーみたいなものである。これで移し替えをひとつ省略できる。素晴らしい!

 そしてそれがさっき届き、さっそくアクリルで生成された冷水と氷を合わせて入れて飲んでみている。

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 めちゃくちゃデカイ。よく考えたら2リットルの水は2キロあるのである。はっきり言って、片手で持てない。あと氷をいっぱい入れているので、冷たすぎる。今のところ、往復する面倒を省略できた喜びが、両手で持つツラさよりは上、っていう感想だが、それは新しく買ったもの補正かもしれない。メリット・デメリットが出揃うまでは、しばらくかかりそうである。

 今、ちょっとまた飲んだが、頭が痛くなるぐらい冷たいわ! ちょうどこの水筒の裏に映っているグラスに氷を満たして、それに紅茶を注いで飲む時は、そんなに冷たくならないまま氷がなくなるのに、水筒の保冷効果をもってして氷と水を閉じ込めたら、これ限りなく0度に近づいとるね。やりすぎや。氷入れないバージョンも試すべきやね……。

バイオリズムの谷

 ぐおおお、クレジットカードの番号が流出して不正利用されてしまったようだ。不逞の野郎がよぉ。8月の末に登山用品店で6万ほどの買い物をして、直後にそれをまるまる返金してやがる。おちょくってんのか。そしてその直後、今度は旅券を6000円ほど買ってやがる。これは返金されてねぇ。コラァー!

 ということでこんな夜遅くにクレカ会社に電話をして、これらが身に覚えないんじゃと言って対処をしてもらう。今のカードは使えないし、再発行に最悪1ヶ月強ほどかかるおそれはあると。なんちゅうことなんや。ほとんどの買い物をカードで済ませている俺としてはかなりの痛手。AmazonやSteamで買い物できなくなっちゃう。それに種々の支払いもクレカでやっていたのが止まってしまう。何に登録しているか把握してない。過去の明細を見て、定期課金しているサービスの割り出しもしなくては……。なんたる面倒臭さ。

 なんでまた急に流出したのか、という心当たりが俺にはすげーあるのだった。8月半ば、ある寝苦しい朝……いや昼……いや夕方だったか。俺は寝起きでiPhone片手にトイレに立ち、便器に座ってメールチェックをしていたのだった。ちょうどクレジットカードの期限が更新されたばかりの頃だ。AppleからHTMLメールが来ていた。AppleIDの情報の更新が必要だと。ああ、カードの情報のことやな、と思って俺はホイホイとカード番号などを入力したのだが……。よくよくメールの文面を見ていると、Appleにはあるまじき不自然な日本語が混じっていた。あっ、と思って入力完了したスマホの画面を見ると、普通にhttpsapple.comである。しかしメールに立ち戻ってボタンのリンク先を見てみると……。apple.com.nantoka.kantoka.comだったのである。ギョエー!詐欺サイトやないか!寝ぼけていたとはいえ、プログラマだっつって、キーボードかたかたして金稼いでる上に、ITの世界の何たるかを教えてやるよなんつって、プログラミング講座動画まで作っている者が、怪しい日本語しかのたまわぬ低レベルな詐欺集団にハメられるとは……。最悪の朝……いや夕方である。それも間抜けだが、パスワード変更と2段階認証を設定しただけで安心し、クレジットカードを抜かれている可能性をウッカリした上に、使われるまで放置していたとは……。すぐさまパスワード変更などしたとはいえ、それまでに数分間はあったわけだから、真実のデータを俺からインプットされた相手は自動化により瞬殺で情報閲覧である。クレジットカードに関しては、セキュリティコードを見ることまではできないだろうと思っていたが、セキュリティコードなくても決済できるサービスはあるもんな。すぐさまカードを止めるべきであった。まあ金銭的な実害は、今に至ってもたぶんないんだろうが、カードの再発行を待ってそれまで使えなかったり番号が変わったりカード会社の聴取に応じたりする手間がかかったりするのは必至だ。めんどくせーーー。でも自業自得である。これが原因であると確定したわけではないが……たぶんこれだろう。はー、参った。

 俺はこの頃、寝起きにろくでもないことをしがちである。先日も、寝起きでトイレに行ってその帰りに閉めたドアをしたたかに右足の小指にぶつけ、盛大に爪が割れるという事故を起こした。北斗の拳ケンシロウに秘孔を突かれた時のうめき声選手権にノミネートされてもおかしくない何らかの叫びを上げた後、小指をティッシュにくるんだまま俺は二度寝したのである。もうめちゃくちゃや。最近寒くて風邪っぽいしよ。歯の詰め物がまた取れて歯医者に通うことになったし。しかもその歯医者はハズレっぽいし。散々だ。なんか俺の努力や注意によって回避できるタイプの厄災が多い気がするが、とにかく災難なんだ。ああ参った。

物語のプロットを作ってくれるAIが欲しい

 俺は文章を書くことが好きでもあり、嫌いでもある。ブログでそこそこ長い記事をちょいちょい書いていることからも分かると思うが、好きではある。割とサラサラ書ける。それに、最近はもうやめたが、小説をちょっと読んでいた頃には作家志望だったこともある。でも、そういう、いわゆる小説のような文章を書くのはとても苦手というか、苦痛であることが多かった。

 文章を書くというのは、その目的によって、けっこう色んな能力の組み合わせであると思う。放談の文章化はいいけど小説はダメ、というのは、小気味よく口語的に言葉を組み合わせる作業はできても、話として面白い展開を考えたり題材を考えたり、人間の基本的な機能や心理などをトレースし人物を作り出していい感じにコミュニケーションさせたり、それを小気味よくパッチワークしたり、演出を考えたりするようなことは、別の職能というか、違う筋肉を使う運動だと思う。んで、後者は得意ではない。物語を書くのには向いてないと思う。ここを取り違えて、まあ筋のとおった文章を書くことはできるんだから、小説もいけるいける、と思っていたので、割と時間を無駄にした感じはある。

 向いていないことをするのは不合理なので、分業すればいいのだと思う。漫画の世界だって、原作と作画が分かれている作品はままある。小説だってそうしたらいいわけだ。俺がそこまでして小説を書く理由は薄いが、もし、俺が実際に書かなくても、俺がちょろっと考えたコンセプトが勝手に肉付けされて、それを小説にしてくれて、世に出した状態になるボタンがあるなら、押すと思う。なんか、こう、物語を生み出すっていうのは、いろんな面白い物語を見てきたから、やってみたいって気持ち自体はある。でも俺がそれに取り組んでコストを払っても、書くのが下手だからコストの変換効率が悪く、そんな効率の悪い事業に支払えるコストはあまり高くないというだけのことだ。コストを無視できるんなら、やってみたい。

 ところで、今は放談的に文章を書くだけで、小説のようなものを書くことができる時代になっている可能性がある。小説をAIに書かせるのだという。そんな噂を聞いて、ちょろっとググってみたが、どうもクローズドプロジェクトばかりで、簡単に入手できるわけではないらしい。金脈ありそうだし、そらそうだと思う。でも、そういうのがあったら、話の筋、それもかなり細かく、登場人物とか、そいつが何してどうなって、っていうレベルの細かさで、おもしろいプロットを生成してくれたら、俺はそれを小気味よく書くだけで小説が書けるやん。漫画でいうところの、原作をやってもらって、俺は作画だけやる。ちょうどいい。しかも権利的に面倒くさくない。最高やん。俺の成果にできる。プロットは何回でも作れるだろうから、俺がおもしろいと思ったものだけ手がける。ダイスロールで能力が決まるMMORPGのキャラエディットで、めっちゃ作り直しまくるみたいな。プロットに関して俺は苦手なんだから、そこについての俺の創作性はそんぐらいでいいわ。めっちゃちょうどいいやん。しかも、そこはAIが一番得意そうだ。インプットをたくさんの「小説本文」にして学習させない限り、あらかじめたくさんの物語をいい感じに分解してやる必要があり、たとえば既存の作品を「キャラクター」とか「展開」とかに類型化して、「純文学」「異世界」「探偵」「お嬢様」「超展開」みたいなタグを振るとか、そもそもタグを作るとかの人間の工夫が必要になるし、そのやりかた次第で出てくる物語にバイアスが生まれそうだが、とにかくそういうAIがあればめっちゃ俺ちょうどいい。欲しい。でも金脈だからクローズド。これまでに、たとえば大塚英志さんが「物語の体操」で言ってたような、カードになんか書いてシャッフルして並べてヒントにする、みたいな方法とかあったし、俺も試したことがあるんだけど、ホンマにヒントで、めっちゃ肉付けせなあかんから、俺の物語能力では、助けと呼べるほどの助けにならんかったんよね。飢餓状態なのに米粒ひとつもらったぐらい。だからもっと介護してもらわんと戦えない。小説の世界で原作と執筆が分かれてる例ってほとんど見かけないのは、原作作れれば、執筆もやりおおせるぐらいの力はあるというか、物語はすげー浮かぶけど文章が下手でしょうがないという人が、漫画のそれに比べるとめっちゃ少ないということもあると思う。時間がなくて書けないから原作だけやって人に投げる、とかいうケースもあるだろうけど。

 でも、そんなツールが出現して俺が手に入れられるということは、他の人も手に入れられるということであって、その人らと戦いになっても、俺の普通の文章力がその人らに勝てるとあんまり思わない。だから、俺だけがそのツールを手に入れなくてはならん。ということは、俺が作って秘密に運用するしかないわけだ。でも、そんなもん作る技術はない。じゃあ無理やんけ。せやな。

日高屋で冷やし麺が来るまでに書いたリプライへの返答

 応用情報技術者とかの資格を取るスキルを得ることは、プログラミングにおける基礎的な事柄を体系的に押さえるには役立ちますが、別言語の習得に直接役立つとは思いません。企業もあまり言語や業務の習熟とは関連させて考えないと思います。

 企業が重視するのは実務経験の長さとベクトル(言語やフレームワーク)が自社でアサインさせたいプロダクトに合っているか、それとキャリア、つまり、要するにちゃんと書けるやつなのか、を見ると思います。

 実務経験が長い人は、それだけの間その業界でやってこれたのだから、地雷である可能性は低い、ということを期待させます。長期間、会社のお荷物としてくすぶり続けたゴミ人材がとうとう追い出されたというような可能性もありますが、人材の質に定評のある企業を渡ってきた人であれば、その可能性も低いと見なすと思います。

 実務経験やキャリアが今の時点でない場合、それを今の時点で生み出すことはもうできないので、ディスアドバンテージになると思われます。それをひっくり返すには、素直に学習し、c#とかunity(狙っているの企業や業界が欲している言語やフレームワーク)で作った実際のプロダクトを見せるのが、一番効くと思います。いい感じで動くプロダクトがあれば、実務経験よりも直接的な証拠として、ちゃんと書ける人材であることを示せます。応用情報技術者などの資格は、その他の能力がほとんど同じ評価の人材のどちらを選ぶか、などの超接戦になったら軍配があがる確率が高くなるかな、ぐらいだと思います(企業によりますが)。