悠久バプテスマ

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孤独が趣味的生活を追い落とす

 俺はポケ森ガチ勢をやめたぞジョジョーッ! というのも、せっかくやってもパラメータの上限に達していることによって、無駄が生じてしまうからです。建物を建てないと動物との親愛度の上限が増えず、建物を建てるよう設定しても、建つまでに72時間とかかかるので、どうしても上限のままのやつがいて、贈り物をしても親愛度が捨てられちゃう。そういう悲しみを感じていると、ふと、なんで俺は動物に3時間ごとに贈り物をしているのか、という疑問が生じて、なんか我に返ってしまい、不毛感が頭をもたげてくる。という理由です。まあちょいちょいは、やります。
 不毛感といえば、この頃は人生そのものに不毛感がある。なんか日々の暮らしはまあそれなりに、物質的には楽しくやっているのだけど、それ以外がどうもね。俺はかなり飽き性……のような、そうでもないような。配信とか、気に入ったシミュレーションゲームとかは10年とか800時間とかやってるんだけど、基本的には割と簡単に飽きてしまう。んで、人生そのものに飽き気味である。なんかダラダラとおもんなくてやばい。美味い飯食ったら美味いけど、言うて美味いだけやし、面白いゲームやっても面白いけど面白いだけ、とまでは思わんけど、それがどうした? って思う瞬間はある。昔、遊園地に、ゴムか何かでできた球体の中に入って、中で飛び回って遊ぶようなやつがあった記憶があるが、その中にずっといる感じ。その中にずっとおらなあかんかったとしても、中ですげー飛び方とかを研究して遊ぶ余地はいっぱいあるけど、球体ゴムの中でずっとそういうのをして、だから何なの? って感じ。結局、俺の脳が何を感じるかやんっていう感がすごい。じゃあ覚醒剤でよくない? みたいな。身も蓋もない。結局、そういう「だから何?」とか「脳内の問題やん」みたいに思ってしまう体験と、そうでなく得難いと感じる他の体験の差って、構造的な差異ではなく感動の大きさの違いなんだと思うんだけども、つまり普段の感動が少ないってことかもしれん。仕事では、目先のちっさい目標を、パズルを解く感覚でやっている。だからまあそうしている間は、俺はパズル好きだし、パズルならまあまあ熱心に時間を潰してあんまり不快感もなくできる。で、酒はなんかぼんやりできるから飲む。飯は美味いから食う。膨大な空白スケジュールをなんとか頑張って埋めてる感がすごい。しかも面倒がりだから、面倒かもしれんことはなるべくしないで済むような生き方をしている。24時間の大部分を必要以上に空けて、その空いた時間をどうでもいいことでなんとか埋める。クソゲーだと思う。すべて面倒くささがそうさせている。とにかく動くのがめんどくさい。
 人にウケようと思うことも結構な原動力で、それをテーマに時間を埋めている人もいっぱいいる。芸人とか経営者とかってそんな感じだと思うし、やりがいみたいなものを仕事に求める人も多いし、飲食店でも「お客さんに喜んでほしい」ってマジで思ってやってる人とかもいる。自分の手の届くちっさい範囲でも、社会全体みたいなおっきい範囲でも、そういうテーマを多からず少なからず持ってる人って多い。俺も作家志望とかゲームクリエイター志望とかやってた頃はそうだったんだけど、今はけっこうどうでもよくなっている。例えばなんかすごい映像作品を作ったとして、それが誰かの一晩の飯のお供として楽しく機能したとしても、あるいは映画館とかで上映されて1時間なり2時間なりの時間を楽しくさせたとしても、あるいはその時のみならず巷で話題にのぼるほどたくさんの人々を熱狂させたとしても、それって何やっけ、って感じがする。そんなことになったことないから、それはメッチャうれしいことなんかもしれんけど、目標地点とする魅力が弱い。かつては弱く思わなかったのになあ。インポになってしまったのか。ボタン押したらそうなれるなら押すけど、そんなボタンはないし、能力的に努力なしではそうなれない。期待値が低い。
 あと性格も悪い。これ俺は長い間にわたって無自覚だったんだが、けっこう悪い。どう悪いのかという性質的な分析はとりあえず置いておいたとして、客観的に悪い。客観的に悪いからこそ今になってだが気づいたのである。これが客観的には悪くなかったら、一生気づいてないと思う。というのも、よく考えたら、おそらく俺の発言によって俺の周りを去った人間がなかなか多い。特に女。実況時代、えげつない顔が判明してからの配信時代を経てもなお、そこそこ女からのアプローチはあったのだが、そのすべてが最終的には俺の周りから消え去っている。例えば、ある女配信者は俺のことを好きだと言っていたが、俺は「どうせネタで言ってんだろ」とか「彼氏おるくせにうるさいわ」とかいろいろボロクソに言ってしまって、最終的には別の男配信者と付き合ってヤリまくってどっか行った。別のある女配信者は、いつだったか、別の男配信者にお互い誘われて、ネット麻雀をやる機会があって、その時にすげーファンだと言ってくれたが、俺はまた「女ってこういうところあるよな」とか「クソ女らしさが出てる~」とか言って消え去ってしまった。ある女視聴者は、年季の入った俺のファンだと言ってくれていたが、「じゃあ会おうよ」とか誘ったらまごまごしていたので、「まごまごすんなやめんどくせー」という主旨のことを言ったら消えてなくなった。あれ? 俺が悪いやん。性質的分析できとるが! 単純な帰納でびっくりしたわ。基本的に男配信者も仲いいやつほとんどおらんし、よく袂を分かつし、やっぱり性格悪いんやろうなあ。わずかに書いた先述の発言からしても、みなさんは気づかん方がどうかしとると思うんかもしれんが、本人は自分の息の臭さになかなか気づかんのよな。なんで性格悪いんやろ。照れ隠しのためにロクなこと言わんのかなあ。なんかガッカリやわ。機械的にとにかくへりくだるとかが単純な対策として浮かぶけど、それ我慢ならんもんなあ。「おごりが当たり前~」とか言ってる女にはボロクソ言いたくなるし、「太ってるお腹触りたい~」とか言う女はナメとんかって思うし、そのナメを指摘せずにはおれんし、やばいな。えっ不治の病。悲しくなってきた。でも俺が生まれのクソ環境から立身するにはそういうねじれ方するしかなかったからなあ。レベルEの、雨季と乾季の差が激しすぎて、オスがメスを捕食する生物が知性を持ってしまった悲劇を思い出すわ。困るわあ。
 そういう世界観なのに、孤独が趣味的生活を追い落とすんだよな。楽しく生きているはずなのに、なんか虚しい。大きな物語がない。自分の外に弱点を持たないようにしてるから、俺の脳内に楽しい物質が流れていればそれでいいとなってしまう。覚醒剤でよくなる。俺以外の領域にある何かもいい状態にしないと楽しい物質が流れない、という状況でないから張りがない。じゃあ唯我的ではなく、そういう生き方をすればいいのに、めんどくささと損得勘定がそれを妨げる。孤独が趣味的生活を追い落とすと先人が言い、20代は笑っていたが、30代も半ばに近くなってだんだん肉薄してきている。自分がそんな性質だったことに驚くが、けっこうもう後戻りできないところまで来ている。生活は容易には変えられん。性格も容易には変えられん。ただただ孤独が迫ってくるが、その欠乏のシグナルに応えることは総合的に考えて無理である。対症療法を続けていくしかないのか。不毛である。