悠久バプテスマ

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実録漫画「交通事故で頭を強打したらどうなるか?」感想など

実録漫画:交通事故で頭を強打したらどうなるか?

 ずいぶん前に人から勧められたWeb漫画を、ブックマークに入れたまま忘れていた。今日、ふとブックマーク一覧を見ていたら目について、試しに読んでみたらものすごく面白かった。面白かったっていうか、ひきつけられる感じ。人格というのは機能のひとつに過ぎないのだなぁと改めて実感する話だった。そう考えると、無邪気な人間観や、魂の存在を仮定する思惟や言説が、とても空虚なものに感じられてしまう。程度の違いこそあれど、日常的にもよくあることだ。例えば、とても優しくていい人がいたとして、好意的にその人のことを捉えていたとしても、その人が借金にまみれていたとか、犯罪歴があると分かったら、途端にその人のことを不気味に感じるかもしれない。この経緯だと、誰も異常だとは呼ばわらないプロセスによって認識を変更していると思われるだろうが、これが個人の脳内で、接触が悪かった記憶分野との伝線が繋がって、急に思い出す形でおこなわれたら、どうだろう。急に豹変したと捉えられるだろう。こういうことって、我々も日常の中にもグラデーションで潜んでいるように思う。ぜひともAWSに俺のAMIを保存しておいて、おかしくなったらインスタンスを差し替えてほしい。人間、いつだってデスノートに「心臓麻痺」と書かれれば不自然にならないほどには脆弱な身体を依り代にしているし、そんなノリで脳の配線がぶつっと切れたりすることもあるし、そのリスクを日々確率で抽選してる。そう思うと、なんだか手が痺れてくる。特に俺なんかは肥満でそのリスクを底上げしている。こわ~。しかしこれぐらいの確率の事柄について、人間の脳は相当に楽観視できるようにも設計されているようで、原発などもそうだが、我々はテールリスクには鈍感だ。話が逸れたが、この漫画を読んで、他には、洗脳って不幸なんだろうかというかねてからの疑問も思い出した。洗脳された人そのものは、洗脳されていて幸福とか感覚の受容自体も変革しているのだから、むしろ幸せかもしれない。恐怖を感じるのは、今の自己同一性を脅かされる周りの人間である。こういう話題になると、あたかも洗脳された本人が可哀想というムードになるが、そうなのだろうか? 洗脳は「死」に置き換えても同じ話だ。死んだやつは、死ぬ寸前はともかく、死んだ後は何も感じず、悲しみを感じているのは周りの生きているやつらである。葬式は生きている者のためにおこなわれるとはよく言うが、そこを履き違えている大人も存在する。まあ、世間を見渡せば、この程度のことを履き違えているやつがいてもおかしくはないと諸賢も思うだろう。脳障害、一番怖いかもしれん。めちゃくちゃ中途半端な切れ者の俺は想像するんだが、もっと高次の切れ者からしたら、俺らは全員脳障害を抱えてるようなもんだと思われてると思う。揶揄する意味ではなく、マジでそうだと思う。それは俺ら脳障害が想像するあからさまな池沼差別みたいな形じゃなくて、動物園の動物とか、そういう感じの愛くるしい形でおこなわれていると思う。俺、それけっこう我慢ならんねんけど、妥当だからどうしようもない。悔しい。もっと高い知能をもった宇宙人集団が、我々の生活をあざ笑うような効率で幸福を手にしていたら、めっちゃ腹立つ。できればそっちに移籍したいが、今の地球人ヒエラルキーの中でもそこまで高くないから入れないと思う。腹立つ~。そんな集団が現れたら、地球人の中のマジキチ行動を起こす層がマジキチ行動を起こしたりすると、情けなくて泣きそうになる気がする。取り入りたいのに、足引っ張りやがって。上場をひかえた株式会社が、社員に滅多な行動をとらないよう引き締めるみたいな気持ちになるだろう。

女を殴りたい!

 他には、この漫画が面白かった。すごい発想だな、と興味をひかれる。途中、めちゃくちゃ理解がある女に出会って、協力してくれる、みたいな都合の良すぎる存在がパートナーみたいになって、ちょっと冷めたが、パンチのきいた展開もあってなかなか読み応えがある。こういうのって、一昔前のラノベでよく思ったんだけど、型にハマっちゃうと「ああ、パターン入った」って思うよね。「相互補完的な関係の人間(主人公・ヒロイン)」とか「問題を抱える主人公(またはヒロイン)と、やたら献身的なヒロイン(または主人公)」とか、なんか見たことあるな~って感覚の上に、その動機が「定数」みたいに固定のものであることを感じさせると、途端に興味が失われてしまう。どんなにひどいことを言われてもその人のことを思って行動してくれる、とかは、現実でもそりゃあることなんだけど、定数だなーってなって、入ってこなくなる。「普通の運用」で事々物々はパスしていってほしいというか、妥当な判断、妥当な経過、妥当な判断、妥当な経過、の積み重ねで面白いストーリーが好きだ。この妥当な判断を生み出しやすいのが、金とか権力を争うストーリーで、欲しいやつ山ほどおるし、周りを蹴落とさないと得られないから、行動がいちいちぜんぶ妥当になる。心だけの問題で説明されると、妥当でなくなっちゃうから、パズル的美しさが欠ける。のではないかと思った。この漫画からはそういう香りが少ししたが、でもそれほどでもなくて、けっこう面白いは面白い。

 

 そういえばAmazonギフト券によるおひねりを設置してみました。なんかTwitterでnoteとかいうサービスで、クリエイター諸氏やエンジニア諸氏や経済人諸氏が、絵や文章の記事を公開していて、おー、俺もやってみたいなと思ったんだけど、記事を売ったりするのは、金払った人しか読めないってのが、俺ぐらいの読者人数からすると成立しない感じあるのと、手数料が高いのが微妙。その点、Amazonギフト券なら、手数料ゼロ。Amazonヘビーユーザの俺ならほぼ通貨に等しい。ということもあり、とりあえずこういう形でやってみることにした。さっそく1000円いただいたので、ブログもやる気マンになって書いてみた。よろしくね!

 あと最近の取り組みといえば、アイマスが好きすぎて、アイマスの同人ゲームを作っています。しかしデザインや絵に関してカスすぎるので、協力者を募集しています。よろしくね!

 あとはまあ、納豆食ってる動画とかですかね。最近は若干飽きてきたけど、ちょいちょいやると思うので、よろしくね!