悠久バプテスマ

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俺に結婚はオッズが悪い

 今年の9月で35歳。アラフォーである。もういい加減、結婚したいなら考えるべき歳で、当然に周囲の人間もそうであることから、会話でも自然と結婚に関連した話題になることが増えてきた。よく関わる人における既婚者の割合も高まってきた。結婚生活について具体的な体験談を聞いたり、あるいは奥さんがいるから早く帰らなきゃとかいう振る舞いを多く目にする。それらや、彼女がどうこう言ってた年齢帯だった時の様々な所感などを総合的に考えて自分に投影してみると、俺はもうそろそろ、そういったものに対して身辺整理をした方がいいと考えるようになってきた。つまり、俺は結婚をしないものとして生活を送った方がいいということだ。理由は、相当オッズが合いそうにないからだ。賃貸物件検索サービスに、最低限必要だと思う条件を入力して検索しても、0件になるようなイメージ。設定している条件も、「新宿徒歩5分以内新築3LDK家賃3万」のようなものだということが分かってきた。そんな馬鹿げた条件を入力して検索して「ないかぁ~」と残念がり、翌日も「今日はあるかなぁ?」というのを毎日繰り返すようなものだろう。なので検索しないと決めて、ホームレスとしての技術の研鑽に集中した方がいい。という喩えが近い気がする。検索に引っかからない一番の原因は、女性の社会的格差を考慮しないフェミニズムを持っていることだと思う。男に求めるものを女にも当然に求める。これが恐らく一番物件の件数を絞る。男はなんか女に押されると弱いボタンを持っていて、それを押されると女がなんか知らんけど有利になる。そのボタンの存在が謎で、謎だけどみんな持ってるし、横断歩道の歩行者ボタンぐらいあちこちに設置してある。俺は押させないし押しても効かないのがよくない。肩たたき券の無料配布所がそこらにあるようなイメージも近い。そこで拾った肩たたき券を渡されると、なんか知らんけど肩を叩いてあげなきゃいけない。俺は「何この紙切れ?」と言ってしまう。これがよくない。意図的に肩たたき券の威力を無視しているのではなくて、本当のところは、なんで肩叩いてあげるのか、よく分かってない。喩えを解除して言うと、社内外において仕事で付き合う人で、結婚していると「早く帰らないと」とか言うことが多いが、なんでそうなのかよく分かっていない。どうやら、自分が早く帰りたいからその口実にしているという風でもない。なんかそういうオーダーがとにかくあるらしい。仕事なんかしてると、そのためにちょっとした機会損失になることもあると思うのだが、そういうオーダーが妻からとにかくあって、バランスをとっている。仕事してるのは金を得るためで、自分のためでもあり所帯のためでもある。それを妨げるのはどういう了見なのか? というのがよく分からない。夫婦関係というのが資産を増やすための共同体だと思っているわけではないし、「一緒にいたい」という欲求が生まれるのは当然だと思うが、そのオーダーは概ね男から出ていない。そもそもオーダーを出すことの遠慮のラインが低いと思う。この点も、俺が肩たたき券無料配布所の存在を疑う理由のひとつである。たまに男側で肩たたき券を受理している人に説明を求めると「そういうものだから」みたいな回答ばかり出てくる。理不尽に理由なくそうなっている。俺は理不尽なものが嫌いだ。相当無理ゲー感が出てくる。感性が欠如している分野で頑張るのは難しい。ゲームしたことないのにビデオゲーム開発会社に就職してるようなものじゃない? プログラマが「ここ処理が重くてエフェクトのタイミングがズレちゃうんだよな~」とか言ってるのに「なら紙とコマでよくないですか?」とか言っちゃう。そんな奴に「あのね、ビデオゲームってのはね……」と説明するより、転職した方がいい。

 そんな気づきが長い時間と共に少しずつ進行しているからこそ、俺は最近、ダイエットをやり、酒を抑えることができているのかもしれない。身体的な老いが実感されてきて、健康にテコ入れしなくてはすぐに破綻するという足音を聞いた時、自助するほかないというところに帰着する。大人の階段ならぬ独身の階段を昇っていっている感じですね。成長していかなくては。