あの日見た花の名前を僕達はまだ知らないを観た
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」を観た。
- なかなかでした
- 懐かしい気持ちになった
- 往年のエロゲ、特に「AIR」を思い出す
- 秘密基地に集う感じが「CROSS†CHANNEL」感もある
- 非日常的な、田舎の牧歌的雰囲気
- その中にいきなり「謎」をぶちこんで、徐々に明かしていく感じ、懐かしい
- 子供の頃の遊び方懐かしい
- とりあえず「ブス」とか言っとくノリ
- 往年のエロゲ、特に「AIR」を思い出す
- 歳とってきたせいか、「AIR」の時代ほどは素直に世界を受け入れられなくなってる
- しかし歳いくと逆にこういうのにコロッといくのでは?
- 俺は今でも、「めんまはじんたんの妄想説」を推したい
- どうしても偏屈な見方とは思う
- 「マジの幽霊だった」という魔法パワーの存在を仮定して片付けたくないほどには、現実に近づけたい物語
- この現世にも、この物語と同じことが起こりうると信じたいほど魅力的
- 俺が「うみねこのなく頃に」を好きすぎ
- だんだんトラウマが深刻化してとうとう妄想を人に話すようになったじんたんに周りが合わせてあげていたが、同じくトラウマを抱える周りも合わせてあげるキャパを超えて、マジでめんまの幽霊の存在を仮定しなければ耐えられなくなっていったので、花火を打ち上げてカタルシスを得ようとした
- この説の最大の弱点は、そうだとするとじんたんが痛すぎること
- あなる援交説から目を逸らさせようとした時の教室での叫び、ゲーム屋での叫びは、既に痛いが、ギリギリ許容範囲
- ゆきあつの女装は無条件にキツい
- 俺も泉こなたであることを自称しているので人のこと言えないが
- めんまを失った登場人物全員の幸福度マイナスっぷりがえげつないのは揺るがない事実
- 登場人物のすべての行動が、めんまを失った悲しみに対するセラピー
- 葬式は生きている者のための救済であるのと同様。だからこそこの話全体が「生きている者による自己救済であった」という妄想説を推したい
- あるいは「じんたんが時間経過でようやくトラウマが薄れてきて周りが見えてきて、同じく傷を抱えたまま生きている周り(と自分)を救済するために始めた芝居である」と捉えてもいい
- でもまあマジの幽霊でしょうね
- そう考えないと痛さを回避できないシーンの存在が、やはりキツい
- 最初から存在する揺るがないマイナスである「めんまの死」は、ぜんぜん現実でもありえる非魔法的な出来事なので、そこのパンチはどんな説を採ってもボディに効いてくる
- そこだけで泣ける
- でも「そんなに引きずるかね?」って感動妨害要素もある
- 魔法的に捉えても、めんまの死をいつまでも払拭できずにメチャクチャになってる登場人物全員の惨状を、めんまが看過できずに出てきたと考えると泣ける
- secret baseズルい
- 毎回EDの入りが最終回みたい
- パチンコの演出みたい
- 味の素みたい
- うまさ成分だけを抽出した粉をかけた的な
- でも美味いから別にいい
- あなる推し
- なかなかでした