悠久バプテスマ

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BLACK SHEEP TOWNネタバレあり感想

 もう追って何年になるのか分からない瀬戸口廉也さんの新作ノベルゲームがSteamで発売されたので、プレイした。金曜を休みにしたので、金土日月の4連休だったが、そのほとんどを費やしてしまった。毎日巡回しているYouTubeも見ず、デイリークエストを消化するソシャゲ以外は他のゲームも全然やらず、延々とやっていたのに、月曜の昼過ぎである今までかかった。寝る時にゲームを起動したままスリープしていたので、プレイ時間は120時間ぐらいになっているが、実際にはどうなのか? 寝てる時間が8時間だとしたら残りは16時間で、およそ8割ほどを費やしているのだとしたら45時間ほど? Twitterで見ると30時間かかったという声は見ないから、だいぶ遅いな。娯楽が長持ちしていいといえばいいが。

 端的な評価としては、80点ぐらいなんかなぁ。ゲーム中に感想をメモしていたので、それを交えながら、なるべく書く。

序盤

 よく分からん状況や用語がたくさん散りばめられ、素性の知れない人物がうわっと現れる感じ。いきなりカマしてくる。しかも地の文に「筆者」とか出てきて、誰視点なのかも全然分からないので不穏。物語というのは概ねマッチポンプであり、著者がわざと設えた不足な状況や不明瞭な設定が、著者によって満たされたり明らかにされたりしていく過程に快感が生まれるものなので、不穏でよく分からないさまがあればあるほど、カタルシスが予約されているようで、期待が持てるとは思った。

 それにしても亮の快進撃がうまく行きすぎていて、それもまた不穏だ。どうしても作者である瀬戸口さんの過去作でのやり方を背後に見てしまうんだけど、こんなに手放しでうまく行ってると、しっぺ返しが怖い。中盤ぐらいまではずっとそう思っていた。しかしそれくらいの読者の予想は逆に予想されているというか、こんな快進撃はもうすぐ止まりますよみたいな雰囲気は中終盤でバラしてくる。そんなことされると、じゃあ結末どうすんだ?って当然思うが、まあそれは後述。

コシチェイ

 アレクセイの印象が一番強いが、早く制裁されろとばかり思っていた。ほんま邪魔やわ、と終わりまで思っていたが、こいつがいないとかき回す役がいなくなるのでしょうがない。個人のくせに強すぎるとは思うが、こんなタイプAなんて個人差のある能力が存在する世界なんだったら、そらその頂点はこれぐらいチート性能でもおかしくはないか。現実でも何らかの頂点ってそれぐらいチートだしな。終盤、路地の前でミユキの姿になってたのは、あれ何? あんな能力あったっけ?

 関係ないけど、アレクセイが人ばらばらにして仕舞ってるシーンで、イワシの缶詰食ってたのでちょっとウッてなった。

灰上姉妹

 なぜかこいつらを見ると朝凪先生を連想してしまう。クソ生意気だけど、最後はウヒウヒするんでしょと思いながら読み進めていたからか。何を思いながら読み進めてんだ。こいつらムカつくわ~と終始思っていた。肝心なところでいい働きしすぎなんよ~。肝心な時になぜか居るし。基本的にはYSにうまく行ってほしいとずっと思っていたから、鬱陶しかった。汐家の地下に単身で乗り込んできて亮とやり取りしてたところはすげー好きだが。害意が強くあるわけじゃなくて、退屈や停滞が好きじゃないだけだというのはよく分かった。が、何をやっても退屈で、結局過激で暴力的な行為に流れてしまうのは、世の中の様々なことを細やかに見れないだけでは? 演歌がどれも同じに聞こえるのは、演歌を大外からしか見れていないからであって、どんなものでも立ち入れば立ち入るほど奥深く退屈しないものなのでは? と思わないでもないが、年若いしY地区だししょうがねえか。興味の対象がタイプAの頂点であるコシチェイってのもまあそれはそれですごいから妥当だしまあしょうがねえか。

見土

 饅頭のくだりはSWAN SONGあろえの石像みたいな位置づけかと思っていた。周りからはなんだそれって思われながらも、これに意味があるんだよって本人は確信してる存在。でも意外と物語上ではあんまり装置としては使われず、コンタのED後TIPSでちょっと言及されてるぐらいだった。少年時代は亮といいコンビだったね。てっきり大人になってから敵対してドンパチやって何かあるのかと思ったら意外とそうでもなく、YSあんま関係なく死んだ。解放軍の病院襲撃のくだりはホンマ胸糞だった。能美さんはじめ、看護師皆殺しのくだりが、物語をとおして一番の胸糞ポイントだったと思う。浅慮な兵士にめちゃくちゃされるのはSWAN SONGでもあったな。

 爽やかな割に好きだ。SWAN SONGでいうと田能村さんにちょっと近い。穏健だが非情に徹する必要があるなら徹するって感じの使い分けもいい。でもなんで解放軍のリーダーになったんだろう。この物語の若手勢は、普通にやっていく選択肢がありながら、そうではない方を選択するというルートを辿っている。亮は学者ではなく龍頭。姉妹も学生を放棄してコシチェイファンクラブ。さくらはニートやめてYS入り。見土は饅頭売りではなく解放軍リーダー。まあ選択の余地ないのか。でも見土はやらなくてもよくない? 病院襲撃とかフェルナンデス家襲撃とかも、遂行しなくてよくない? んなことないのか。さくらの方が謎か。

シウ

 一番腹立つ。姉妹より腹立つ。さくらが言っちゃってたけど、わがままで行動してるだけやんけ。俺がこの世界に転生したらこうなりそう。他のキャラがストイックすぎるんだろうけど、相対的にわがままなので腹立つ。見土の家に転がり込んでた時が一番腹立つわ。プレイ中のメモには「早く見土と一緒に制裁されてほしい」と書いてる。ED後のTIPS見ると、極道入りしてしまったさくらの代わりに、さくらの両親から可愛がられて蕎麦屋を継ぎそうみたいなこと書いてたけど、そんなもんなの?

さくら

 この見た目でなぜニートに。特異体質のせいか。めっちゃ好み。このキャラによる一人称での流れるような描写は、かつて俺がノベルゲームを作った時に憧れて濫用しまくった文体だ。忙しなく放言と自己批判を繰り返す、日常的な思考がそのまま文字になったようなアレ。味わわせていただいた。

 最後完全に武闘派になってたのは驚いたが、元ヒキニートが、仮に数年鍛えたんだとしても、やっていけるような世界なのか? という感想はやっぱりある。抗争が実は子供のチャンバラレベルだったのでは? と思えてしまう。このキャラを舐めすぎなのかな?

印象的なシーン

 馬明粛清のくだり、病院襲撃、太刀川の死ぬシーン、松子vsコシチェイの2戦目はかなり印象に残っている。あんなしょうもない理由で馬明を粛清ってのはどうなんだ? そこを厳格にやる割には、目こぼししてることが色々あるような気がするけどな。進退に関しては厳しいというのはもうゴリラ幹部をやった時に示されてるし十分じゃない? そうでもないか。

 病院襲撃はただただ胸糞だった。この先は破滅だろうなと思った。

 太刀川がやられるシーンは、その死に際の描写が非常に印象的だった。本人の感情キチな半生がもともと好きだし、ずっと追い求めていたミアオと自身の関係の位置づけも、厚かましいとか真に迫ってないとかではなく適切な距離を維持しているし、何より死の直前、とても生に執着しているのが非常に良かった。あんなに世捨て人みたいに暮らして、何なら死に場所を求めてるぐらいに見えたのに。しかしそれも色々経緯を思い返すと納得がいく。

 松子も相当好きだから、コシチェイにやられてレイプされてたっぽいくだりはキツかった。同僚の人をかばう感じもよかったし、堂々としてるのもよかった。

 どっかで「水の入ったグラスを鍵のついた金庫にしまったところでいつか蒸発して消えてしまう」という例えがあって、それもいいなと思った。

総評

 なんでタイプAとかBがあるの? とか、グレートホールって結局なんだったの? とかがあまり描かれてなかったので、もやもやした。天変地異が起きてもその原因解明がないというのはSWAN SONGでも食らったが、あれはまあ単にとんでもない地震が来たんだからしょうがない、で納得いく。今回に関しては、もうちょっと掘り下げてほしかったなあという感想はある。

 また、人の進退についてももうちょっと詳しく知りたかったというのもある。最後の最後で世傑がYS離れたのはなんでとか、シウどうなったとか。ED後にTIPS見たらしれっと追記されてはいるんだけど、本文で描いてほしかったというのはある。

 特殊タイプBになったら何でも復元できるというのは強すぎるし、クリスも亮も不死身化は断ったのに亮だけ勝手に不死身化してるし、指先から復元しても記憶あるし。この物語で最も結びつきが強い組み合わせの二人が、松子と亮に限定されているわけでもないような気がするし、とにかくその二人が生み出す結末のカタルシスが、不死身化・記憶永続化によって成り立っているのがどうも入り込めないというか。そういう玉に瑕感はあった。

 音楽の力が薄いのも少し物足りないところではあった。やはりサウンドノベルサウンドも楽しみたい。強烈なテーマは欲しかった。何度も過去作との比較になって申し訳ないがCARNIVALやSWAN SONGのテーマは脳汁がさくらの汗ぐらい出る名曲だった。担当者の力がどうこうというより、方針としてそうされたのだろうが、欲しかった。

 道中とてもおもしろく、ノンストップで先を読み進められる強度はあったけど、突っ走った原動力でもあった結末でのカタルシスが思ったより与えられなかったので、手放しで絶賛するというわけにはいかなかった。

 ともあれ、令和の世にあって、まだ瀬戸口さんらしい流れと筆致を体験できることを、うれしく思う。

 あとデバッグ榎津まおは二、三度見した。