ブログ引っ越し嬉しっ子になって、なぜだか書く気が横溢している。基本的には新しいものが好きなのだなと思う。新しいものをサクサク買って、すぐ飽きるというのを人は否定的に見ることが多く、俺自身も否定的に見ることが多いのだが、自分にとって必要かもしれないものをたくさん試してみて、ええやん継続して使おうとか、やっぱり要らんかったわなどと試行することは、その試行のコストが安い限りは合理的である。むしろ、自分にとって必要なものを使ってみもせずにスナイパーよろしく撃ち抜いて、必要なものだけをピックするなんて芸当はなかなかできない。ものすごく購入前リサーチしたり体験できる方法を探して、本当に必要なものであることを見極めてからでないと購入しないというのは、効率悪くて頭悪いと思う。なのになんでそれを否定的に思ってしまうのかというと、やっぱり「もったいない」からだと思う。購入した物体は購入者に所有権が移ってしまって他の人は手出しできなくなるが、購入者がやっぱり合わんわとか言って使わなかったり捨てたりすると、その物体を作るために消費された地球上の物質やリソースが無駄になるのでむかつくのだと思う。少なくとも俺にはその感覚が1%以上ある。三日坊主とか飽き性とかいうけど、何もしないよりはマシや。将棋でも、歩切れと一歩の差がもっとも大きい。
とか急に何を言い出してるのかというと、今から買おうとしているものが、まさにもったいなくなる可能性大だからである。
KETTLEBELLKON(ケトルベル魂)ファットバーン ケトルベル(ビニールカバー・キャストアイアン製) (16 キログラム)
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これはケトルベルとかいう、クソ重いただの鉄塊に取っ手がついただけの物体である。ハンターハンターでいうところのキルアの家の門番みたいな使用人の詰め所を想起させる。部屋の中で持ち上げたり持ち歩いたりして身体を鍛えるアイテムらしい。部屋の外でも持ち歩こうと思えば持ち歩けるが、間違えてマンションの上階から落としたり、その辺の道路で取り落として転がったりすると、人を怪我させたり殺したりする可能性がまあまあありそうで危ないから、家の中からの持ち出しはしない方がよさそうである。基本的には、持ち上げて歩いたりしてるだけで超疲れて運動になるらしいので、腕立てとか腹筋とか背筋とかスクワットみたいな動作よりは、億劫にならなそうである。風呂を沸かしている間にこれ持ってドタドタしてから入れば、ちょっとは運動不足が解消するのではないか? これぐらいのことならやるのではないか?
と思っているのだが、正直言って嫌な予感しかしない。俺は運動が大嫌いである。運動しないことこそ正義だとまで思っている節がある。間違った考えであるが、間違っているからといってすぐ放棄できるわけではない。覚醒剤の中毒の人だって、覚醒剤をやるのは間違っていると思っているはずである。でもやってしまう。間違った考えだって、容易には捨てられないのである。
だから自分を甘やかす必要がある。人間は自分を律する時、マチスモに走りがちである。マチスモというのは、非常に高い水準の何かを要求する理論や計画のことである。例えば、「痩せるためにはどうしたらいいのか?」という問いに対して、「飯を減らして運動をする」「でも飯を減らしても食べたくなるし、運動するのも面倒だと思うんですが」「それは意志の力でなんとかするんだよ。その程度もできないで痩せようなんて考えるからすぐリバウンドするのだ」とか、「金欲しいなあ」という欲求の丸出しに対して、「ならば勉強することだ。資格を取得し、資格が必要な職業につく」「え、でもそんな時間ない」「時間というものは、そこにあるのではなく自ら作るものだ。忙しい忙しいと言ってるやつほど、時間の使い方の効率が悪い。少しの工夫を積み重ねることで、まとまった時間を生み出すことはできる」などというものである。飯を減らすぐらいの意志の力がもともと備わっているのなら太っていない。業務独占資格を取得できるぐらい時間を効率的に使うのはしんどい。だからやらないし、やってない。それでもそれを実行するには、平均を大きく凌駕した何らかの高い能力や、常軌を逸した決意などがなくてはならない。そんなものはそう滅多に存在するものではないのに、存在する前提をとって計画してしまうのがマチスモである。
話が逸れたが、俺はもちろんそんな高い能力や鉄の意志は持ち合わせていない。だから水が高きから低きに流れるのを押しとどめて、逆行させることはできない。せいぜいできるのは、水の流れのルートを変えて、水害をなるべく避けるだけである。ルートを変えることも容易ではない。既存のルートはもう水が流れ慣れすぎていて、深い深い溝になっている。岩でふさいでも、水圧が強すぎてすぐ決壊するし、別のルートに分岐させようにも、既存のルートと同じ深度で掘るのは並大抵のことではない。俺にできるのは、その辺に落ちている木の枝で小学生が地面に落書きするかのように、こっちに流れてくれと線を引く程度のことだ。なんて無力なんだ。可哀想に。
その線が、このケトルベルである。腕立てをするためには、地面に手をつく必要がある。ああだるい。俺が地面と平行になるのは、柔らかい布の上なくてはならず、それも仰向けで、これから目を閉じて意識を失うゲームに興じる時だけであるべきだ。と俺は言う。ここで俺の機嫌を損ねてはいけない。そうですよね、そうですよね、失礼を申し上げました。Revin様が地面と平行になる時といえば、その時だけでございます。と揉み手しながら愛想笑いしなくてはいけない。ここで怒らせてしまうと、その日食う牛丼が大盛りから特盛りになってしまうかもしれない。腕立てをしないどころか摂取カロリーまで増やして最悪である。そう考えると、腹筋や背筋も、地面と平行になるので危険である。スクワットは膝が痛むので本当に危険である。ランニングやスポーツやジム通いなど、部屋の外に出る必要がある運動などを提案しようものなら、そこまで言うなら運動してやるよ、とか言って街中に繰り出して暴れ出して人死にを出し、せっかく消費したカロリーを一蘭ですぐ補充してしまうかもしれない。最悪の人間である。
そうなると、なかなか提案できるものがない。しかしこのケトルベルを見せてみると、ほー、どんな感じなん、などと少し興味があるような素振りである。またとないチャンスだ。前に買ったけどまったく使わなかった机の下で漕ぐペダルだけの器具が思い出されるが、ないよりはいいかもしれない。買わなければ、ケトルベルを使って運動する可能性はゼロであるが、買えばゼロよりは高くなる。でも1回使っただけでもう使わなくなった場合、5000円は高い。悩ましい。もしこれを使ってみた人とか、知り合いが使ってる人とかがいたら、ご意見ください。参考にします。