悠久バプテスマ

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おかん死去

 11月30日0時ごろに、おかん死去。
 死因は肺高血圧症と間質性肺炎ということだった。もともと、指定難病である強皮症という病気にかかっており、そう診断されたのが約8年前。強皮症自体の5年後生存率は、ググると90%台という情報もあり、そんなに低くないようだが、さらに条件付けがあるとガラリと変わるようで、医者には5年後生存率は約半分と言われていたようだ。死因となったような病変を持っていることによって、予後が著しく悪化するらしい。8年ならよく頑張った方だという。

 


 俺は高校卒業からずっと地元から遠く離れて生活を送っており、父とおかんと6つ下の弟が実家でずっと暮らしていた。俺が小学生のころに、両親が身の丈にあわない持ち家を購入した。それは、仮にローンを完済するまで順調にいったとしても、父が定年退職した後も高額の返済が続くことになっており、明らかに俺や弟の将来的な稼ぎに手を突っ込んだ計画になっていた。俺はそのことに高校卒業前後ぐらいに気づき、そんなのに付き合ってはいられないと、遠くの大学を選んで進学し、そのまま実家には戻らずにいるつもりだった。一方、弟は、高校卒業を迎えると、実家から通える私立大学に進学した。うちは両親ともに中卒なのだが、おかんがそのことに強くコンプレックスを感じている上、俺も弟もまずまず学業の成績がよかったこともあり、奨学金を借りて、必ず大学に行くよう要望していた。俺は学費が安い国公立だけに絞ったので、それほど奨学金は借り入れていないが、弟は私立を選んだため、けっこうな額を借りたと思われる。そのため実家を出る選択がしにくかったのであろう。大学卒業後も、地元の小売業の会社に就職し、実家から勤務していたようだった。
 うちの父は、おそらく精神科で診てもらったら何らかの疾患があると診断するであろうマジキチで、他人だろうが家族だろうが誰にでも喧嘩を売るし、他者を自分の思い通りにしたがるし、すぐに癇癪を起こす。最もその癇癪の対象になったのはおかんだった。その次は俺で、その次は弟だろう。単純に、一緒にいた時間の差だ。全員が愛想を尽かしていたが、おかんは、父が死去したら家のローンが消滅することのみを狙って婚姻関係を維持していた。それを受け、俺は、前段の理由もあって、なるべく距離を置くように振る舞った。そうすると、父の癇癪は今まで3人で割られていたのに、2人に減ってしまい、1人あたりの量が多くなる。まして、弟まで俺と同じ選択をすると、おかんのみがそれを一身に受けることになる。その状況を嫌って、弟は残ったのだと思われる。ただ、こうした状況を生んでいる構造というのは、父の死後のローン消滅という不確実な方法、あるいは、子供2人の稼ぎによる完済という他力本願な方法によって、持ち家を取得しようというおかんの無謀な考えによって生まれているのであって、その分不相応な欲望さえなければ、早々に離婚でもして父の癇癪を遠ざけ、生活力がないのであれば生活保護でも受けて暮らせたはずだと、俺は考えていた。要は、おかんのわがままがもたらしていたことなのだから、俺や弟がそれに付き合う道理はないということだ。しかし、おかんのマイホーム信仰は非常に強かった。正直、それぐらいの夢は持っていいぐらい、おかんは自分のすべてを擲ってはいた。が、それ以上のものも擲とうとしていたのだ。無自覚だったのだろうと思う。頭が回る人ではないのだ。俺は、おかんがその姿勢を崩さない限りは、何も支援しないと決めていた。そういう経緯で、俺以外の3人は実家に暮らしていた。
 長い月日が流れたが、やがて父が定年を迎えて収入が断絶し、当然のようにローンの支払いは滞り、予想通り弟の収入にも手を付けられ、加齢によるものなのか状況によるものか父の癇癪は激しくなり、おかんの忍耐力も下がり……などと、時間の経過は次々と悪いイベントをもたらし、やがておかんは、例の強皮症と診断されてしまったのだった。ストレスによるものだと俺は見ているが、真相は分からない。その合併症で逆流性食道炎になり常時オエオエ言ったり、すぐ息切れして買い物に行けなかったりし、それがまた父の癇癪を呼び起こし……と悪循環のサイクルが早くなり、とうとう1年半ほど前に、おかんの友人が計画して、おかんと弟は、どこかの別の賃貸に避難することになった。
 弟は、そこから死ぬまでの1年半が、おかんにとって最もいい時期だったのではないかと言う。俺もその頃から、先述した「家へのこだわり」を捨てたのだと見なして連絡を再開し、おかんとよくLINEでビデオ通話するようになったが、確かに晴れ晴れとしているように見えた。父のことを「考えたくもない」としきりに言うのだが、一番元気になるのは、父の悪口を言っている時だった。割とゲロ吐きそうなぐらい、俺の人生で最悪の皮肉、逆説だ。
 この頃には強皮症もずいぶん進行しており、入退院を繰り返していたが、そのペースはだんだんと短くなっていた。今回の入院は10月末のことで、弟の見立てでは、そんなに長く入院するわけではないということだった。実際、入院してすぐに、おかんからLINEメッセージが来て、「だいぶ気分がよくなってきました」と言っていた。しかし前回の退院から1ヶ月も経っていないこともあって、ちょっと危ないんじゃないかという感じがしていた。だから、年明けぐらいに退院したら、ほぼ10年ぶりに、一度会いに行っておこうと、思っていた。
 そっから急に容態が悪くなって、死亡である。肺高血圧症は、心臓の負荷が問題になる疾患らしく、主体は心臓だ。心臓。心臓の問題は、突然来るんだろう。あっけなかった。すぐ集中治療室に入ったが、ここで効いてきたのがコロナだ。コロナ対策で、集中治療室は身内であっても一切入れないということだった。だから弟も、集中治療室に入ってからは、まったく会えず、会話をする機会もなかったらしい。コロナ、けっこう軽視してたし、幸運にも生活上の支障を比較的感じてこなかったが、まさかこんなバックドアを仕掛けてくるとは思わなかった。まあ……これはでも、誰が悪いってわけでもないよな。特定の個人以外の何かのせい、としか言えん。
 結局、おかんはすべて以上のものを擲って得ようとした持ち家を得ることなく、ぜんっぜん関係ない賃貸に住んで、家でもない病院で死んだ。その賃貸には、葬儀の時に泊まったが、隣の家が料理してる包丁の音が聞こえてくるようなボロ家である。なんだこれ。
 葬儀やら火葬やら骨拾いやらをして、おかんはもう消え去って、概念と化した。まどかかよ。遺品の整理は、同居してた弟がやってもらうことにしたが、式後、2人で1日かけて、それっぽい遺品を見分して、気持ちの整理をやった。
 その中で一番俺に効いたのは、ボケ防止に、と送ったニンテンドースイッチ&川島教授の脳トレがあるのだが、そのプレイ日数が205日間になっていたことだった。カレンダーを見ると、送った日から毎日ずっと「済」スタンプがついていて、入院してた期間がごっそり空白で、退院した日から、また毎日「済」スタンプがついていた。
 最後に入院した日にさえ「済」がついていて、弟に言うと、「その日は朝一番で病院に行って入院したはずやから、朝起きてすぐやったんかな」とのことだった。
 そんなにやってくれていたとは……。
 まさか精密機器が形見になるとは思わなかった。
 あと、俺が勧めた「黒猫のウィズ」というクイズのソシャゲは、レベル272になっていた。
 めっちゃやっとるやん……。
 これは効いたわ。
 ところで、2人が住んでた賃貸は、おかんの病院が近いという理由で場所を選んでいたらしいが、もうおかんがいないので、弟はおそらく仕事に都合のいいところに引っ越すことになると思う。ゆえに、もう地元と呼べる場所の取っかかりがなくなると思われる。ので、俺が幼少期に過ごした場所を片っ端から回って、それも写真や動画におさめまくって帰ってきた。おかんのことも含めて、いろいろ気持ちの整理をつけるのに残りの忌引を費やそうと思っている。
 心配なのは、弟だ。弟は、おかんと共依存みたいな状態になっていて、葬儀の前後でけっこう「何のために生きるか分からん」というようなことを口にしており、相当危うかった。なので、とりあえず、こうやって相手がいる状態でしゃべるのはそこそこにして、独りになって個人戦で気持ちの整理をつけて、それで依存状態を埋める存在を作るように動こうと持ちかけた。その存在というのは、おそらく結婚すること一択になると予想してるけど、とにかくそれに向けて動いた方がいいというのを暫定の方針として提示してみた。
 俺は経緯からして依存関係にはなかったので、比較的軽傷なので、まあ日常に戻るのはそう困難ではない気がする。意外とそうでもないのかな。希望的観測は持っている。
 デトックスとして記しました。
 みなさんはさすがにこんな特殊な状況ではないでしょうけど、まあ親とかに言いたいことは早めに言っといた方がいいと思いますね。