悠久バプテスマ

141文字以上の文を140文字以下の文にしたくない時に使うブログ

「~~で困ってる人がたくさんいることを知ってほしい」って言うやつ腹立つわ~

 Twitter社には新聞社の記事ツイートにリプライした回数をホーム画面に表示する機能を実装してほしい。ほんまTwitterのクソを見てると腹立つわ~。俺は基本的にアイマス関係のいい絵や漫画を書く人を見るためにTwitterを見ているのだが、ニュースなどを知る契機にするためという理由も2割ぐらい占めている。その役割を担わせる人選は非常に重要で、前に書いた記事のようなフィルタが必要である。 

 

 しかし、そうやって頑張ってウンコをフィルタしても、カシコの人の中にはカシコアピールのためにカスを叩いて、いかにカスがカスであるかを説明する人がどうしても存在する。それはそれでその人の利益のためにしょうがないのだが、そうすると、カスの存在が目に入る。しかし俺はあんまりもうカスを目にしたくないのである。あんなカスと生物として同じ種であるということを確認すると気分が悪くなる。もはやニュースツイートのリプライ数を見るだけで気分が悪い。ああ、またカスがいっぱい訳わからんこと言うてるんやろなぁと想像するだけでげんなりする。

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 この記事は殺人犯にしかイキれないのでリプライが少ないが、

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 この記事などはWHOという大きな組織にマウントとってボロクソ言えるのでイキりまくりである。

 この手のカスさを少しでも目にしてしまうと、例の「このカスと生物として同じ種である」というスティグマを再確認させられた、気分マイナスからのスタートになり、それを打ち消すなりしてゼロ以上に戻す必要がある。これがまた労力である。こういうブログ記事を書いたりしないといけない羽目になる。でもこれをやらないと気分が悪いのである。この手のカスを目にした時のストレス係数が、俺は恐らくみなさんより高いので、しょうがないのである。腹立ってしまう。

 いろいろあるパターンの中でこの頃気にするのは「~~で困ってる人がたくさんいることを知ってほしい」という口調で、群衆に何かを訴えかける系のやつ。真に受けるとキューが多すぎる。そのレベルのことを知らないといけないのであれば、他に1万個、10万個、100万個ぐらい知らないといけないことがあって、どこの受験生だってぐらい覚えなくてはならない。受験ならまだ、覚えれば覚えるほど受験で合格する可能性が上がるという得があるが、何らかのちょっと損してる人のことを覚えまくったところで何もないのである。俺だって、目の前で物を落とした人に「落としましたよ」って拾って渡す程度の親切心ぐらいは持ち合わせているが、それを何十回、何百回しなければならないとなれば、もう仕事である。発信してる本人からしたら、ちょっとタバコの火借りるぐらいの軽微な要求でしょ、という感覚だろうし、実際にそうなのだが、タイムラインでまとめて見ると、「またバクシーシ言うとるやつがおる」とうんざりするのである。ただ、これも言い方の問題で、「~~を知ってほしい」という若干強めの口調で訴求しようとしているのがガサツなのが引っかかっているのだと思う。「知るべき」ほど強い言い方ではないが、「知ってほしい」ということは、知ってほしいと思っているということであり、俺がそれを知らないでいるなら、その発信者にとってそれは残念であり、つまり俺が知らないことは残念さを生むのである。俺は知らないでいることで残念さを生んでしまった、という後味の悪さを残す。若干の脅しである。脅しということは攻撃性を帯びているので、気分が悪い。飛躍しすぎと感じるかもしれないが、自分の意識が1個というスケールに対して十分に大きな数のなにかを相手にする時、こういう微小な違いは重要である。1000万件の何かを処理する時、処理時間が1ミリ秒遅れたら、全体としては1万秒遅くなるのである。俺の意識が1個しかないので、しょうがない。タバコの火を貸す機会が1回で済まないんだから。「~~という人がいるらしいよ」で済ませれば、こっちとしても「へえ」で、攻撃性は感じない。いや、もしそれが当たり前になってきたらまたぞろ感じるのかもしれんが、今の相場でいえば感じない。人に何かさせようとするなら、自分の要求が相場としてどれぐらいのものになっているのかを想像し、それぐらいの創意工夫をしてほしいものである。それさえしないで、単に温情に訴えかけるガサツな要求を垂れ流しているさまは、実に稚拙で、腹立たしい。その創意工夫をしようとしていないところに感じる拙さが、俺の最近のカスさトレンドの一種である。